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〈解放5年、同胞新聞事情−@〉 朝聯機関紙

民族運動を牽引する力

 「朝鮮新報」は昨年10月10日、創刊60周年を迎えた。海外僑胞が60年にわたって新聞を発行し続けたということ自体すばらしいことである。

 横浜にある日本新聞博物館の企画展「『海外邦字紙』と日系人社会」(2002年)では、約50紙が展示された。日本人の海外移住が始まったあと、各地で発行された日本語新聞だという。

朝聯機関紙「朝聯會報」

 解放直後の同胞新聞は、日本の研究者らによると米国のプランゲ文庫所収GHQ関係の資料を根拠に170種類ぐらい発刊されていたという。その多さがわかる。

 現在、私が勤務する在日朝鮮人歴史研究所にはいろいろな資料が入ってくる。元来手元にあったものや、国会図書館などを通して入手した資料を基に、解放後5年くらいの在日朝鮮人の新聞活動について、@解放直後の同胞団体、朝聨の機関紙A同胞の有力新聞であった解放新聞B同胞経済人、商工団体の経済新聞C朝聯傘下団体の新聞の順で4回にわたって整理してみる。

 今回は、在日本朝鮮人聯盟(朝聨)の機関紙についてみる。

 朝鮮が解放された2カ月後の1945年10月15日に、在日同胞の統一的な団体であった在日本朝鮮人聯盟が結成された。朝聨は、組織作り、帰国の手配、生活などの諸権利、国語講習所から出発した民族教育、朝鮮の独立統一運動、共和国創建祝賀行事などさまざまな運動を展開した。

 朝聨の出版報道活動は盛んだった。日本敗戦直後の社会的混乱、物資不足、GHQ占領という条件下で、当時の朝聨は、新聞の編集発行、雑誌の刊行、「建設通信」の発行、「朝聨ニュース」映画の制作など限られた中でも多彩な出版報道活動をすすめた。

 中央常任執行機関が構成されたあと、朝聨は機関紙の発行に直ちに着手した。

 最初の機関紙は「朝聨会報」。B4の紙を半分にたたんでとめるかたちのパンフレット式で、朝鮮語版で発行された。担当は情報部と文化部が協力したという。朝聨結成当時の中央総本部所在地が「東京都淀橋区角筈2丁目94番地」にあったので、発行元の住所も同じである。「朝聨会報」は11号まで発行された。

 その後朝聨は、第28回中央常任委員会で「朝聨会報」の改題を決定。1946年6月10日より「朝聨時報」(12号)として発行を続けた。発行所は東京都芝区田村町1丁目3番地、発行人は朝聨中央総本部・尹槿(委員長)で、定価は1円であった。印刷所は東京都神田区三崎町1丁目2番地、朝光社となっている。

改題されて発行された「朝聯時報」

 朝聨の活動が幅広く推進される中で「朝聨時報」の報道だけでは到底おぼつかなくなり、朝聨の決定により1946年11月に「在日朝鮮人生活権擁護委員会」が発足すると、それにあわせて「朝鮮人生活権擁護委員会ニュース」が1946年11月29日、第1号として発行された。これは朝聨機関紙の代弁的な役割として日本語版で発行された。この新聞は1947年8月5日、生活権擁護委員会が解散すると同時に廃刊になった。

 「朝聨時報」と「生権ニュース」の継承新聞として朝聨は、1947年8月15日から「朝聨中央時報」(週刊)を発行した。編集、発行人である金萬有氏の発刊の辞によると、読者対象は分会以上の役員1万7000人であり、編集方針の要点は、@中央総本部が発する指令に対する解説A朝聨政治路線に対する認識B中央総本部および各地方組織の活動成果に対する報道C組織活動の助けになる宣伝啓蒙資料の解説であった。第4号まで朝鮮語で出したが、印刷所の関係で第5号からは日本語になった。

 発行は朝聨中央総本部情報部で、発行所は総本部が所在した東京都中央区月島西仲通り12−7。「朝聨中央時報」は朝聨第5回全体大会(1948年10月)で、中央機関紙の独立採算制を採択したので、機関紙編集局が外局として設置された。

 「朝聨中央時報」は30号まで何とか出せたが、用紙難(当局から割り当てを受けられずヤミで購入)で中途休刊(1948年3月5日)せざるをえなかった。

 しかし、教育問題は日を追って緊迫し、祖国の情勢も変化している状況下で、朝聨はいかなる犠牲を払ってでも続刊しようと努力した。

 「朝聨中央時報」は、用紙難、財政難、人材難など困難の連続ではあったが、約2カ月休刊後に発行を再開し、朝聨が強制解散させられる直前の1949年9月6日まで通算135号を発行した。

 検閲もあったがこの件に関しては次回で触れたい。「朝聨中央時報」は1949年5月1日の第94号から3日刊となった。「時報」は朝鮮語版で創刊、その後日本語、朝鮮語日本語併用版として発行された。

 「朝聨会報」「朝聨時報」「朝聨中央時報」と続いた朝聨中央総本部機関紙の発行は、朝聨活動の組織者、宣伝者の役割を担い、当時の民族的愛国運動を牽引する力強い手段となった。今日では朝聨活動の貴重な記録であり、在日同胞の財産である。(呉圭祥、在日朝鮮人歴史研究所研究部長)

[朝鮮新報 2006.3.18]