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ウリハッキョのバス運転手

 駆け出しの記者の頃、2002年に行われた近畿・東海地方の「総聯分会代表者大会」を取材した。朝青滋賀の「歌話団」が、「バス運転手に捧げる歌」という歌を披露した。「…30年を一日のように走りました/笑顔と歌をたくさん乗せて走りました/ソンセンニムが走られたその道で/私たちは『民族』にめぐり逢いました」。滋賀朝鮮初中級学校(現在は初級学校)のバス運転手アジョシに卒業生らが感謝の気持ちを込めて作った歌だ。これを聴いた観客らは大きな拍手を送った。記者も大きな感動を受け、「母校のアジョシは元気かな?」とふと考えた。

 先月、北九州朝鮮初級学校で22年間もバス運転手をしている日本人がいると聞き、取材にいった。「こんな熱い人がいるんだ」と強い感銘を受けた。話を聞きながら記者の母校である城北朝鮮初級学校(大阪市旭区)のバス運転手・金泰文顧問(70)が懐かしくなった。まだ現役でやっていると小耳にはさみ母校を訪ねた。あいにく仕事に出ていたため、次回来た時に会いたいと、校長先生と約束して帰った。「厳格で男気があって、城北を守ってきた人」とは校長先生の談。

 記者は初級部1〜3年までバスで通学した。車中の一番うしろでひたすら遊んで暴れていたので、丸めた雑誌でひんぱんに叩かれていた記憶しかない(笑)。今もあちこち走り回り、学校の補修作業などにも携わっているとよく聞く。今まで母校のためにこれといって力になれなかった。それなら「バス運転手を紙面で紹介しよう」と思った。それが自分を育ててくれた母校への恩返しだ。(c)

[朝鮮新報 2006.4.19]