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群馬で強制連行犠牲者追悼集会 「和解の構図」 ここから

 日本の植民地支配下で強制連行され、炭鉱や軍需工場で働かされたあげく、群馬県内で犠牲となった朝鮮人を追悼する第3回追悼集会が22日、群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」の敷地内に建てられている「記憶 反省 そして友好」の追悼碑前で行われた。同胞、日本人ら約100人が参列し犠牲者を追悼した。

友好、連帯、共生を

献花する参列者たち

 式では同追悼碑を「守る会」共同代表の森野善右衛門氏があいさつ。「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事」と強調し、「アジアに侵略した日本が今もアジアで孤立している。日本とアジアの和解の構図が生まれるよう、力を合わせて碑を守り、このような運動を『群馬の森』から始め広めていこう」と述べた。

 つづいて総聯群馬県本部の田成培委員長と民団群馬 本部の趙武雄副団長兼事務局長が追悼のことばを述べた。田委員長は「追悼碑には犠牲者を追悼するとともに、不幸な過去を忘れず後世に事実を伝え、過ちを繰り返さないという決意と、朝鮮と日本の民衆が友好と連帯、共生を図っていくという共通の思いが込められている」とし、朝・日国交正常化の早期実現、朝鮮の自主的平和統一、東北アジアの平和のために「共に手を携えて力強く前進していく」と決意を語った。

 つづいて、群馬朝鮮初中級学校の生徒たちが「故郷の空」「リムジン江」を合唱し、参列者全員が献花した。

 「守る会」の猪上輝雄事務局長は、会のために多額の寄付をするなどさまざまな立場からの支援を受けていることに感謝した。また、昨年から運動の一環として遺骨返還のための活動に取り組んだと報告。「調査をしっかり進め、遺族をみつけ招きたい」と述べた。

建立から2年

同胞の犠牲者を追悼し歌を歌う群馬初中の生徒たち

 群馬県では県内の強制労働跡地や犠牲者に関する資料を調査してきた市民らが98年、「建てる会」を結成。碑建立を呼びかけ募金活動を行い、2004年4月に県の敷地内としては全国で初めてとなる追悼碑を建立した(建立後、「守る会」に名称変更)。これまでに、日本の国会議員や南朝鮮の市民団体の代表や著名人が同校を訪れている。

 建立の際、碑文をめぐって県とし烈な議論があった。「朝鮮人強制連行の事実を深く刻み、反省し、相互の理解と友好を深めたい」との同会側の提案に対して、県側は「強制連行」という用語の使用は認められない、労働現場の地図はなくすべきなどと指摘。同会は県有地への建立の意義を重視し、「不本意な部分も多々あったが」合意した。

 「守る会」は昨年から遺骨問題に取り組んでおり、藤岡市などで朝鮮人と思われる遺骨をみつけた。県や市など自治体への要請活動も行っている。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2006.4.25]