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西大阪、大阪福島の生徒らが田植え 「平和の糧」、総連西成支部共催 朝鮮への支援米作り

「継続は力なり」

 市民団体「平和の糧」と総連大阪・西成支部の共催による田植えが5月27日、大阪府豊能郡能勢町の休耕田で行われ、「平和の糧」のメンバーらと同胞、西大阪朝鮮初級学校、大阪福島朝鮮初級学校の3年生生徒らが参加した。生徒たちは、手ほどきを受けながら初体験となる田植えに挑戦。小運動会なども行われ、大自然の中で朝・日交流を深めた。

初体験に歓声と悲鳴

初めての田植えに悪戦苦闘の朝鮮学校生徒ら

 現場に到着した生徒たちは、生まれて初めて踏み入れた田んぼの中で歓声と悲鳴をあげながら、二手に分かれて田植えを始めた。

 最初はとまどっていた生徒たちも、徐々に田植え姿が板につくほどにまで上達し、植え終わる頃には「泥エステだ」などと言いながら、ふざけあう場面も。縦横きれいに植えられた田んぼを眺めながら、昨年ここで収穫されたコメでオモニ会のオモニたちが作ったおにぎりをおいしそうにほおばっていた。

 「平和の糧」の山橋宏和代表はあいさつで、「これまでの田植えの中で、今年が一番きれいに植えられた。日朝、南北朝鮮の間にはこれまでいろいろなことがあったが、2000年の南北首脳会談の時、うれしさのあまり大騒ぎしたことが昨日のことのようだ。おりしも総連と民団の歴史的和解のニュースにも触れ、とてもうれしい。これからも、南北朝鮮の和解、東アジアの平和へと向かう歴史の流れに、日本人として一緒にいられることの誇りを胸にがんばっていきたい」と語った。

「ひと仕事を終えたあとの焼肉は最高!」

 総連西成支部の呉信浩委員長は、「この田植えは1、2回のキャンペーンではなく、10年間地道に続けてきたことに意味がある。金大中前大統領の二度目の訪北や総連と民団の和解など、10年前には想像もできなかったこと。こうした地域の交流が、歴史の流れに影響を与えたと思っている。今後も、このような地道な活動を、大阪、ひいては全世界に広げていこう」と訴えた。

 昼食後、生徒たちは小運動会に興じたほか、かえるやおたまじゃくし、トンボ採りに熱中し、帰路に着いた。

「他地域とも交流を」

田植えには多くの同胞と日本市民も参加した

 この田植えは、1997年から「平和の糧」と総連西成支部が毎年行ってきたもの。「平和の糧」は、1996年に朝鮮で大水害が起きたというニュースに触れ、困っている隣人を支援しようと同年、結成された。初年度はカンパを募って朝鮮に送ったものの、翌年からは、在日同胞が多く暮らす大阪の特性を生かして、彼らと交流し友好を深めるために共に汗を流そうという考えから、能勢町の休耕田を借りてコメを作り、朝鮮に送ることにした。以来、毎年朝鮮学校の生徒たちと共に田植えを行ってきた。

 「平和の糧」ではこれまで、朝鮮の現状報告会と朝鮮料理会(1997年3月)、「日本と朝鮮の友好をもとめる市民講座」(2000年10月)、「タチソ」(高槻市にある旧日本軍の地下倉庫跡の通称)のフィールドワーク(2001年4月)、ハナマトゥリへの参加(2002年6月)、「アリラン峠を越えて」上映と討論会(2004年6月)、アジアの平和と連帯のための上映&報告会(2005年10月)などのイベントも行ってきた。

 山橋代表は、「朝鮮への支援を前面に打ち出すのではなく、この活動を通じて日本のあり方を考えようとのスタンスでやってきたことが今日まで続いてきた秘訣では。朝鮮が南北に分断されたことには、日本にも責任の一端がある。そうした思いからこれまで活動してきた」と述べながら、「新潟などほかの地域でも朝鮮に支援米を送っている人たちがいるので、今後はこうした人たちと緊密な交流を深め、運動を横に広げていきたい」と語った。(李松鶴記者)

[朝鮮新報 2006.6.13]