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「枝川朝鮮学校を応援する集い」 民族教育の権利は「日本社会の問題」

地域を超えた幅広い支援 

 東京都江東区枝川1丁目に建つ東京朝鮮第2初級学校は、今年創立60周年を迎えた歴史ある学校だ。しかし2003年12月、東京都は突如、都有地に建てられている同校に対し、校舎の一部を取り壊して立ち退くこと、4億円もの地代相当金を支払うことを求めて裁判を起こした。東京第2裁判の始まりである。裁判から2年半、歴史的経緯を無視し子どもの教育の権利を奪おうとする、都当局の不当な処置を糾弾する内外の声は日増しに高まっている。そんな中、6月25日に、「とりあげないでわたしの学校−枝川朝鮮学校を応援する集い 映画&トーク&歌と踊り」が江東区文化センターで行われ、出演者100人と観覧者700人の参加のもと盛況を博した。

「基金」からスクールバス

「枝川基金」からスクールバスが贈られた

 この日会場のロビーは、最近発行された「とりあげないでわたしの学校−枝川朝鮮学校裁判の記録(第1集)」をはじめとする関連図書を求める人たちでにぎわった。

 立ち見も出るほど観客が集まり、会場は早くから熱気に包まれた。観客の3分の2は日本の市民で、枝川裁判に対する関心の高さが垣間見えた。

 集いは、枝川裁判支援連絡会のメンバーである中村まさ子・江東区議会議員の司会で進められた。

 最初に舞台に上がったのは、東京第2初級の生徒たち。この日の「主人公」たちは、民族衣装を着飾って明るく澄んだ歌声と踊り、楽器の演奏を披露した。この衣装が昨年のチャリティーで贈られた民族衣装のお披露目とあって、観客はいっそう惜しみない拍手を送った。

集いの最後には全員で「リムジン江」を合唱した

 集いでは、この日の午前中に行われた「枝川朝鮮学校支援都民基金(枝川基金)」第2回総会(2005年度)の報告を、田中宏・龍谷大学教授が行った。田中教授は、昨年5月に設立された「枝川基金」の経緯について述べたあと、当初2年間で予定したスクールバス寄贈を、1年の間に実現できたと述べ、これからも基金を継続して学校の遊具と教材を支援すると語った。田中教授は「都が抑圧するならば、跳ね返す力で向かっていく」と力強く述べた。

 また、「枝川基金」共同代表である日本クリスチャンアカデミーの大津健一事務局長が、学校の代表にスクールバスの目録を渡した。

 同校の宋賢進校長は、温かい支援に感謝の意を表し、「裁判闘争でつらい日々もあったが支援者とのよい出会いは大きな財産」と述べ、これからも学校を立派に守り、支援者たちの期待にこたえていくと語った。

 集いでは、弁護団の新美隆、師岡康子、張學錬、金舜植弁護士が紹介された。

 新美弁護士は、2年半に及ぶ裁判の経緯と経過について報告し、都の主張の不当性と民族教育の正当性について指摘した。新美弁護士は「外国人学校問題は子どもの最善の利益のための問題であり、自分たちにも、日本社会にも重要なこと」と述べた。

映画「パッチギ!」とトーク

井筒監督(左端)を囲んで行われたトーク

 集いでは、2005年日本アカデミー賞監督賞、脚本賞を受賞した映画「パッチギ!」が上映された。

 上映後、井筒和幸監督と総連東京都本部の李昌興教育部長、金舜植弁護士が参加してトークが行われた。

 井筒監督は、東京第2に対する支援の意を表し、「パッチギ!」が作られた背景と経緯、これから李安成(映画の主人公)一家を中心に第2弾を準備して、来年の靖国の時期(8月)までに封切りしたいと語った。

 金舜植弁護士は、映画について、葬式のシーンが一番ぐっと来たと語り、これからの東京第2の裁判は、弁護士だけではなく日本の社会を大きく動かさなければいけないと述べ、惜しみない支援を訴えた。

 集いでは、昨年7月に結成され活発な活動を行ってきた南朝鮮の「枝川朝鮮学校問題対策委員会」の連帯メッセージが紹介された。

 舞台と客席がひとつになったこの日の集いは、枝川から始まった支援運動が日増しに民族教育に対する共感を呼び起こし、同胞ばかりではなく、「日本人の問題、日本社会の問題」として支援運動の幅が大きく広がっていることを実感させた。

 大津健一共同代表は「多くの人たちが集まり関心の高さを感じた。基金は裁判支援、学校に対する支援のために設立された。これからは都民だけでなく、ほかの地域の広範な層にまで広げていきたいと思っている。子どもたちが教育を受ける権利は、日本社会の問題であり当然のことだ。これからも学校のために、必要なものを側面から助けていきたい」と語った。(康太成記者)

[朝鮮新報 2006.7.6]