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「パニック」から始まった平壌行

 7月27日、1年3カ月ぶりに「常駐記者」として平壌に赴任した。これまで「万景峰92」号はもちろん、ウラジオストク、瀋陽経由を経験したが、北京経由での平壌行きは今回初めて。

 北京を経由する場合、一度空港から出ることを知らずにトランジットだと思い込み、空港職員にたどたどしい英語で「平壌に行くには、どうすればいいか」と聞いてはみたものの、返ってきたのはすべて中国語。あげくのはてには国際線ロビーから出され、途方にくれてしまった。

 日本と北京で時差があることすら知らなかったので、「もう間に合わない。いっそのこと大使館に行って、なんとかしてもらおう」とまで思ったが、タクシーに乗る余裕もなく、一か八かで一度空港から出て、国際線ロビーに向かった。すると、「どこに行ってたのですか? 探しましたよ」と高麗航空の女性職員が朝鮮語で語りかけてくれた。安堵感とうれしさで涙が出そうだった。

 手荷物以外の荷物もすべて飛行機に積んでもらい平壌空港に無事到着。宿舎の平壌ホテルに着くと、「お久しぶりです。元気でしたか」と、日本の殺伐とした雰囲気を耳にしている顔見知りの職員たちが心から歓迎してくれた。

 ミサイル発射訓練を機に、あたかも朝鮮が今すぐにでも戦争を始めるかのような日本の報道ぶりに比べ、平壌市内はいたって平穏。これから3カ月間、朝鮮で見て聞いたことを足しも引きもせず、ありのままに伝えていきたいと思っている。(松)

[朝鮮新報 2006.8.1]