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過去との出会い

 北海道宗谷郡猿払村浅茅野で24日まで行われていた強制連行犠牲者の遺骨発掘に参加した。大学生にまじってともにスコップを握り汗を流した。初めは取材に専念し、どこか第3者的だった。しかし、学生たちが雨のなかでも一生懸命汗を流す姿、70歳の参加者が黙々と掘り続ける姿を見ているうちに、いつの間にか積極的に参加していた。気づいた時には通訳兼班長まで任されてしまっていた。

 こうなると取材どころではなくなる。なんとしても自分の班に割り当てられた区画から何か重要なものを掘り出そうと血眼になる。だが、結局そこからは何もみつからなかった。班のメンバーは落胆と疲労で座り込んでしまっていた。

 取材しなければと我に返り、すぐに発掘を指導した教授や助手らに状況を聞いた。すると、思いもしなかった言葉が返ってきた。

 「そこ(割り当てられた区画)に何もないということがわかった」。

 皮肉を言っているのかと思ったが、そうではないらしい。ある区画で複数の遺骨や木炭が折り重なって集中的に発掘されたが、その周辺の区画では何もでてこない−これは現場が火葬場として利用されたことの一つの証になるというのだ。

 これぞまさに考古学。こうして「過去」である地中の状況と、「現在」である村民らの証言が60数年の歳月を経て結びついた。自然と気持ちが高ぶった。

 現代人は「過去との出会い」を文字や画像に頼りがちだ。今回の発掘作業は、直接触れること、感じることの大切さをあらためて教えてくれた。(泰)

[朝鮮新報 2006.8.30]