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猿仏村民らの熱意 宿舎、食事を提供、発掘支援

 今回のワークショップと発掘作業は地元村民らの協力なしには語れない。猿払村の役場職員と村民らは、宿舎の提供、食事の支度、発掘の準備作業、バスの提供に運転とあらゆる面で支援してくれた。搾りたての牛乳を毎朝欠かさず届けた人、旅館の営業を休んでまで食事の支度を手伝ってくれた人、発掘作業のためテントを張って機材を提供する人もいた。

 きっかけは村で遺骨が発掘されたことだった。日本の太平洋戦争下で軍用飛行場が建設された浅茅野に朝鮮人の遺骨が眠っているという事実、記憶は薄れつつあった。しかし昨年10月の試掘で朝鮮人と思われる遺骨が実際に発掘されたことで、村民らの意識が少しずつ変化していった。

 当初は役場職員の間でも関心が低く、施設の提供にも否定的だった。だが、試掘に参加した職員や強制連行を知る村民らの呼びかけで次第に協力する人が増えていった。

 地元実行委員会共同代表の水口孝一さん(71、浅茅野地区自治会長)は、父は戦死したが遺骨は戻っていない。それだけに遺骨返還を願う遺族の思いに理解が深かった。「少しでも遺族や犠牲者のために手伝えたら」と支援を決めた。

 猿払村産業建設課建築係の追久保敦技師は、海抜を知りたいという発掘チームの要望に熱心に応えた。

 既存の資料をあたって伝えることもできたが「地盤がゆるいから正確に調べ直した方がいい」と、率先して発掘に尽力した。上司や村の人たちに協力も呼びかけた。

 一週間の休暇をもらって参加した追久保さんは「学生たちが来てくれたこと、村のひとたちがやる気になってくれたことがうれしかった。自分自身も一週間のめりこんで貴重な経験をさせてもらった」と語った。

 学生同士だけでなく、参加者、主催者、村民らの「理解と友情」も芽生えた。実行委員会は「強制連行や遺骨問題の解決と平和のための取り組みにおけるモデルケースになるだろう」とワークショップの成功を喜んだ。 

[朝鮮新報 2006.9.5]