〈東京朝鮮第2初級学校土地問題裁判〉 大阪女学院大 元百合子准教授の意見書(要旨) |
「悪質な人権侵害」 既報のように、東京都が東京朝鮮第2初級学校に対し、校地として使用している都有地の明け渡しなどを求めている「枝川裁判」の第13回口頭弁論が16日、東京地裁で行われた。今回の口頭弁論で朝鮮学校側弁護団は、国際人権法の角度から民族教育の権利性を考察した国際人権法の研究者である元百合子・大阪女学院大学准教授の意見書を提出した。意見書の要旨は次のとおり。 本件における原告東京都の請求は事実上、東京朝鮮第2初級学校の存続を脅かす効果、すなわち当該朝鮮学校において在日コリアンがその子どもたちを対象として行ってきた母国語教育、民族教育の継続をはなはだしく困難にする効果を持つ。 つまり本件は、日本社会において民族的、言語的マイノリティである「外国人」が「私立学校」を自主的に設立、運営して民族教育を行う権利、およびその子どもたちがその種の私立学校で学ぶ権利を、現在および将来にわたって侵害する行為に相当する原告の請求の正当性が争われる事案である。 「教育に対する権利」は、世界人権宣言第26条、社会権規約第13条、子どもの権利条約第28条などに明文規定される普遍的人権の一つである。しかもこの権利は、人権行使の前提条件であると同時に、他の人権を強化し実質化する機能を備えており、その意味で、種々の人権の中でももっとも基礎的かつ重要な権利の一つと位置づけられている。 当然、自国民だろうが外国人であろうが、それをすべての子どもに等しく保障することが、関連する条約に規定された国家の義務である。 外国人が私立学校を設立、維持して母国語教育、民族教育を行う権利に関しては、非差別平等原則が適用することを念頭において、社会権規約13条3項と4項を読めば明らかである。 「教育に対する権利」の完全な実現を達成するため必要な措置を詳細に規定する同条は、父母(または法定保護者)の私立学校選択および宗教的、道徳的教育確保の自由(3項)、および個人および団体による私立学校設立、管理の自由(4項)を尊重する義務を締約国に課している。子どもの権利条約も第28条と29条に同様の規定を置く。 設立、運営する人々や生徒の国籍ないし民族的出身を理由に民族学校に対して、日本人が設立、運営して同程度の水準の教育を行う私立学校と、制度上および行政上の別異処遇を行うことによって一方を優遇し、他方に不利益をもたらすことに正当性が認められないことは明らかである。そうした行為はさらに、人種差別撤廃条約が禁止する「区別、排除、制限または特恵」(第1条)に該当する人種差別である。 2005年に日本を公式訪問した、国連の「現代的形態の人種主義、人種差別、外国人嫌悪および関連する不寛容に関する特別報告者」ドゥドゥ・ディエン氏は、国連人権委員会に提出した報告書で、以下のように関連する事実を指摘している。 「日本のマイノリティの教育および特にコリアン・マイノリティの教育の状況に目を向けると、1945年の日本の降伏以降、コリアンたちは民族的アイデンティティを守るため、また若い世代が自分たちの言葉、歴史および文化に親しめるようにするため、日本で多くの朝鮮学校を設立した。特別報告者は、京都府にある朝鮮中高級学校を訪問した。(中略)朝鮮学校には政府からの財政援助がなく、親たちに非常に重い負担がかかっている。京都府のように任意の拠出をしている都道府県や地方自治体もあるものの、その額は依然として、日本の学校に支給される額よりもはるかに少ない(後略)」。同氏はそのうえで、とくに朝鮮学校に注目して、「日本にコリアンが存在することの特別な歴史的状況を考慮すればなおさら、助成金その他の財政的援助を受け取るようにされるべき」ことを日本政府に勧告している。 国際人権法においては、外国人学校、民族学校が実施する母国語教育、民族教育は、普遍的人権としての「教育に対する権利」の一部であると同時に、民族的、宗教的、言語的マイノリティに属する人々の持つ権利である。つまり、すべての人に平等に保障されるべき人権としてだけではなく、マイノリティに特有な権利として二重に保護される人権なのである。 自由権規約第27条は、「民族的、宗教的、言語的マイノリティが存在する国において、当該マイノリティに属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰、実践し、自己の言語を使用する権利を否定されない」と規定する。「否定されない」とする、このような消極的表現が起草時に採用されたことには歴史的背景があり、この消極性は採択以降、自由権規約委員会による解釈および「民族的、宗教的、言語的マイノリティに属する人々の権利に関する宣言」の採択などによって次第に克服されてきた。 非差別平等原則は国際人権法の中核的原理である。世界人権宣言をはじめ多くの国際人権文書が定めるように、すべての人は、「いかなる差別もなしに」そこに規定されるすべての権利と自由を享有する。「すべての人」とはすべての自然人であり、当然「外国人」も含まれる。また、「いかなる差別」には国籍や市民権(の有無)に基づく差別も含まれるのであって、内外人平等は国際人権法における一般原則である。 人権に関する一般原則である内外人平等原則は当然、自由権のみならず経済的、社会的権利にも適用される。 原告の請求のうち、当該都有地の明け渡し、それに伴う校舎の一部取り壊しによって得られる財産上の利益は大きいとは言いがたい。他方、その行為によって被告らが被る不利益は単なる経済的損失ではなく、すでに述べたように重要で基礎的な人権としての「教育に対する権利」と「マイノリティとしての文化享有権」の侵害である。 地方公共団体が、特定の民族的グループに対してそれらの人権の享受を妨げる結果を及ぼす権利行使を行うことは、人種差別撤廃条約の禁止する人種差別に相当する。人種差別は、さまざまな形態による多様な人権侵害の中でも、人間の人格と尊厳を踏みにじることから、とくに悪質な人権侵害であり、国際法上、無条件に禁止される行為であって、そもそも翻って比較衡量の対象にはならないとも言うべきである。 以上の理由から、原告の請求は棄却されるべきである。万一、原告の請求が認められるようなことがあれば、外国人学校、民族学校に対して半世紀も続いてきた制度的人権侵害を救済すべき司法がそれを追認し、さらなる人権侵害に司法が「お墨付き」を与えることになる。 長年、外国人学校の大半を占めてきた朝鮮学校に対する日本政府の対応の歴史は、差別と冷遇の歴史である。 敗戦に続く米軍占領下の時期には、自主的に始められた母国語教育、民族教育の弾圧や、民族学校の強制的な閉鎖と接収さえ行われた。1965年に文部省が都道府県知事に対して出して通達は、朝鮮人学校が「わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」と断定し、朝鮮学校の不認可を要請した。 その後、次第に各種学校として認可する都道府県が増えたことから事実上、行政指導としての効力は減じられていたとはいえ、その通達の失効が正式に確認されたのは2000年である。 国際人権法の根底にある、人間の価値の平等と尊厳の尊重の理念に背く、これらの行為の償いと同等の処遇こそが必要とされるのである。 本件における裁判所の判断は、当該朝鮮学校に留まらず、日本社会で増加する外国籍の子どもたちの教育、外国人学校、民族学校全般に対する国家政策の欠如と不備を補ってきた多くの自治体の政策と実行に少なからぬ影響を及ぼすことが予測される。裁判所には、従来の判例にとらわれることなく、公権力から弱者を護るという法の本来の目的に沿った判断を下していただきたい。 [朝鮮新報 2006.6.27] |