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西東京第1初中 沖縄に修学旅行、戦争、差別、矛盾、肌で感じ

 近年、いくつかの関東の朝鮮学校中級部では、修学旅行の行き先をさらに西に移している。東京朝鮮中高級学校は沖縄に、東京朝鮮第4初中級学校は九州に行った。西東京朝鮮第1初中級学校は今年度、初めて沖縄に行った。生徒たちは、南のリゾート地で楽しい思い出を作っただけでなく、米軍基地、戦争遺跡や朝鮮人の慰霊碑を目の当たりにし、さまざまな思いをめぐらせた。クラス委員長の李一男さんは「歴史を学び現実を知ったことで、クラスのみんなも関心を持つようになった」と語る。

「ウリハッセン」らしい表情

エメラルドグリーンの海を背景に記念撮影

 沖縄行きを提案した愼基成校長は、「京都や奈良で朝鮮の悠久な文化を学ぶことももちろん重要だが、沖縄では『今』を見せてあげられる。在日朝鮮人の悲惨な過去、日本社会の現実と矛盾、文化の違いを肌で感じることができる」と語る。

 「遊ぶときはおもいっきり遊び、追悼施設などでは厳粛な態度で臨む−ウリハッキョハッセンらしく、表情がとても輝いていた」と大成功の修学旅行を満足げに振り返る。

 初めは校長先生の提案に驚いた人が多く、喜んだのは生徒たちだけだったという。「海がきれいで暖かい南の島で楽しい思い出を」−そんな思いが生徒たちの頭をよぎった。

 子どもらしい当然の反応だが、それで終わらないのが同校の修学旅行だ。

搾りたてのサトウキビジュースを飲んで笑顔の生徒たち

 教員らは中級部3年のすべての科目で沖縄の文化と歴史、地理を少しずつ教えた。27人の生徒たちは班を分け、琉球の発生から太平洋戦争被害の歴史、米軍基地の問題、沖縄の地理や気候、生物や食文化にいたるまで本やインターネットを通じて調べ上げた。

 修学旅行の直前には、研究発表会を開いた。コンピュータソフトを駆使した画期的な発表で沖縄についての理解を深めた。

 いよいよ迎えた修学旅行。飛行機で沖縄に向かった生徒たちは、美ら海水族館、おきなわワールド、平和祈念堂、首里城などをめぐり、エメラルドグリーンの海ではしゃぎまわり、楽しい思い出をたくさん作った。

同胞犠牲に衝撃

 楽しい思い出いっぱいの修学旅行のなかでも、生徒たちに大きな衝撃を与えたのは、沖縄で数万人の朝鮮人が犠牲になったという事実だった。

同胞の犠牲者を追悼する生徒たち。悲しみと悔しさで唇を噛みしめる生徒も

 担任の権玲仙教員は「百聞は一見にしかずというように、トーチカの跡や同胞の慰霊碑を自分の目で見たことが大きかったようだ」と語る。

 「まさにここで犠牲になった」「戦争に駆り出された朝鮮人は誰よりも無残に亡くなったのでは」−そんな思いが生徒たちを動かした。

 「自分たちが調査したことを現地で見ることができて、とても良い経験になった」と語る姜明心さん(中3)。日本軍による徴兵、徴用、従軍慰安婦などで犠牲となった朝鮮人を追悼する「青丘之塔」で追悼会をしているとき、米軍機が何度も上空を通り、いやな思いをしたという。

 平和祈念堂の「平和の礎」で同胞の名前が刻まれているのを見たある生徒は、「米国人の名前は英語で刻まれているのだから、朝鮮人の名前も朝鮮語で刻んでほしい」とつぶやいたという。

 また堂内の「韓国人慰霊塔」を訪れたときは、「さまよえる魂」のために刻まれた故郷を示す矢印が汚れているのに気付き、自分のハンカチで拭きはじめた生徒がいた。一般の来場者が踏んで歩く所だが、予習していた生徒たちはその深い意味を知っていたのだ。これを見た日本人のバスガイドは「こんな生徒は初めて」としきりに感心したという。

真の国際人に

 ある生徒は、慰霊塔が来場者から見えにくい方向を向いていることに疑問を感じ、管理者に自ら問い合わせた。だが、6回もたらい回しにされたあげく、満足な答えを得られず、「亡くなったあともひどい扱いを受けている」と同胞への差別を肌で感じた。

 権教員は「はじめは研究をいやがる生徒もいたが、いざ始めたらあれもこれもと関心を持ってくれた。今回いろんなことを学び感じたと思うが、高級部への進学を前に、朝鮮人としてどう生きるかを考えるようになってほしい」と語る。

 愼校長は「琉球民族は日本でさまざまな差別を受けてきたが、文化を保存するために努力している。生徒たちがこれをきっかけに、在日朝鮮人として民族性を守り他民族を理解し共生する真の国際人になってくれれば」と語る。(李泰鎬記者)

[朝鮮新報 2006.1.18]