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〈教室で〉 東京中高、高級部 日本語 呉幸徳先生

「言葉の力」 育て思考力養う

 在日朝鮮人が日本で生活していくうえで必要不可欠な言葉が日本語である。

 東京都北区の東京朝鮮中高級学校(高級部)で日本語の授業を受け持つ呉幸徳先生(35)は、「在日の若者たちは、日本で生まれ育ったからといって正しい日本語を使えるとはかぎらない。現在、日本の若者たちが置かれている言語環境と言葉の乱れについては、日本学校の国語教師も大変憂慮している。彼らの心配は、同時代、同じ社会で暮らす朝鮮学校の生徒たちにも当てはまる」と指摘する。

日本の「国語」教師も悩む

 いわゆる日本の高校生たちの間で問題視されている、文学のサブカルチャー化、文を書くのも話すのも「おしゃべり」レベル、「考える」ことより「感じる」ことが主で、「過程」より「結果」重視、「生きること」と「勉強」は別モノと考える…などの現象は、朝鮮学校の生徒にもそのまま当てはまる。

 呉先生は、民族教育の特性から「朝鮮学校では日本語の授業を除いたすべての教科と学校生活が朝鮮語で行われているため、日本語の授業は制限された時間の中で生徒たちに正しく役に立つ日本語教育をするための貴重な時間」だと強調する。

答えを引き出す質問で

 なにより、日本語の授業で呉先生が中心に置いているのは生徒たちの「思考力」を高めることである。

 教師が生徒のお手本になるために豊かな語彙と表現を駆使するのはもちろん、より多くの質問を投げかけて、生徒自身が答えを探し、発言するよう促すのが呉先生の授業の特徴と言える。

 小説教材の中に出てくる新しい語句については、生徒たちにその意味をじっくり考えさせる。生徒たちが正しい答えを出せなければその語句を使った短い文章を示してその意味を考えるよう導いていく。

 生徒たちの反応はさまざまで、自分の考えを積極的に発言するもの、教科書を見つめながら他人の返事に耳を傾けるもの、考えることを放棄してしまったような無表情なものもいる。

 呉先生はよく通る声に、手ぶり、身ぶりを加えながら、生徒たちの注意を引きつける。

 「朝鮮語にわが民族の知恵と文化、歴史が込められているように、日本語には日本の文化と日本人の情緒が込められている。在日同胞たちは朝鮮人だから自国のものをよく知らなければならないけれど、日本で暮らしている以上、日本についてもよく知らないと」という認識だ。

 大学在学中から日本文学に親しんできたという呉先生は、教師になり、日本語の授業を受け持つようになってから「朝鮮学校においての日本語教育の特殊性」について考えを新たにするようになったと言う。

2言語使用の特徴生かし

作品のイメージがわくよう読み聞かせる

 「朝鮮学校の生徒たちは朝鮮語と日本語の2言語生活を送っている。私は授業で新しい語彙を扱う時、それらを朝鮮語ではどのように表現するかを生徒たちに積極的に教えるようにしている。すると次第に朝鮮語と日本語の関連性が見えてきて、生徒たちも少しずつ興味を感じるのか、『この言葉は朝鮮語ではどのように発音するのですか?』と、質問もしてくるようになる。そうした過程を通じて日本語の勉強をしながら同時に国語の勉強もするようになる」

 このような経験を通して呉先生は、「朝鮮学校の日本語担当教師は、国語の教師と同じくらい朝鮮語に対する素養を高めなくてはならない」と考えるようになったという。

 私生活では1男1女の父親である呉先生は、子どもたちの思考力と想像力、読解力を育てるために家庭でも親が先頭に立って「読書環境」を整えることを奨励している。

 「子どもたちが幼くて文字を読めない時には、親が忙しくても子どもと膝を突き合わせて絵本を読み聞かせてあげるのが望ましく、少し大きくなって文字を読めるようになったら、子どもがいつでも気が向いたときに自分から本を探して読めるように環境を整えてあげることが大切。本には映像を通しては得ることができない想像力と論理的思考を育てる力がある。ビデオや映画のような映像を見せる時にはなるべく美しい言葉が収録されたものを選んで与え、外国の作品の場合には優れた字幕のついているものを見せた方が良い」

前年度の高認(大検)「国語」の合格率は95%だった

 同校では前年度(1年生)から生徒たちが毎年、高等学校卒業程度認定試験(高認、大検)を受けることを義務化している。呉先生の話によれば、「前年度『日本語』の合格率は95%」だった。

 「この結果を見てわかるのは、本校生徒の日本語の基礎実力が一定レベルにあるということ。学校ではほとんどの時間を朝鮮語で過ごしている生徒たちが、相対的に時間数こそ少なくても、日本の学校の生徒に引けを取らない日本語の実力を持っているということはわれわれに大きな可能性を感じさせてくれる」

 「言葉の力」の低下は、意思の伝逹と思考能力に大きな支障をもたらす。

 生徒たちが抱いている「国語と日本語は暗記科目」という先入観を打ち消すため、呉先生は「生きた言葉」「豊かな言葉」を教えるために今日も熱心に授業を進める。(金潤順記者)

※1970年生まれ。広島朝鮮第1初級学校、広島朝鮮中高級学校、朝鮮大学校師範教育学部3年制師範科、同校研究院卒業。1994年4月〜2001年3月朝鮮大学校師範教育学部助手、2001年4月〜東京朝鮮中高級学校高級部教員、同校日本語分科分科長、現在、高級部1年1組担任および高1、高2日本語授業担当。

[朝鮮新報 2006.5.20]