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「少年の主張中播磨大会」に参加 西播初中 中級部3年 李和美

 「国際交流の輪を広げよう」−これはわが校の屋上に掲げられたスローガンです。私たちの学校は今年創立60周年を迎えました。今私は在日朝鮮人として、国際交流の輪を広げる人になろうと思っています。しかし私がこんなふうに考えるようになったのは最近のことです。

 それは今年の4月のことでした。今年も姫路市からのセンリョウの苗木をうけとる新入生たちに、ある先生がおっしゃった言葉を私は偶然耳にしました。

 「あなたたちがこのセンリョウの苗木を受け取るのはとても意義のあることです。あなたたちは最近の報道に心を痛めることが多いでしょう。このセンリョウの苗木は姫路市が、今年中学に入学する人たちに送ってくれたものです。在日朝鮮人であるあなたたちにも同じく、入学を祝して送ってくれたのです。朝鮮と日本の悲しい歴史の中でも在日朝鮮人と交流を深め、力を合わせてくれる人たちがいることを忘れてはいけません」

 でも私は今までセンリョウの苗木を受け取ることについてそのように考えたことがなかったし、在日朝鮮人と力を合わせてくれる日本の人々について考えたことがなかったので、とても驚きました。今まで私は、日本と朝鮮の悲しい歴史に心を痛めながらも、自分が在日朝鮮人であることを誇りに思いながら暮らしていました。テレビから流れてくる朝鮮へのバッシングに悲しい思いで目をそむけてきました。そのせいか私たち在日朝鮮人と力を合わせてくれる日本の人々に気づいていませんでした。

 このときから私はわが校の60年の歩みと日本の人々のことについて調べて考えました。そこには一言では言いあらわせない歴史があります。日本に渡ってきた私たちの曾祖父母たちが自分たちの子どもや孫に母国語を教えようと日本に朝鮮学校を建ててくれたのです。しかしその歴史には心無い人々の圧力もあり、存続が危ぶまれた時期もありました。

 また、国の援助もなく、すべてが曾祖父母たちの手作りで、教科書、机、椅子−そのようなものを作ることから始まったそうです。そんななか一番の悩みは校舎、教室を確保することでした。そんな時、ある日本の方が自分の建物を教室にと貸してくださったそうです。そこからわが校の歴史が始まりました。

 その心は現在にも引き継がれ、今年創立60周年を祝した運動会には姫路の「西播朝鮮初中級学校を支援する市民の会」のみなさんがくださったテントが設置されました。思えば中体連の公式試合に朝鮮人である私たちが出場できるのも今では当たり前のように思われがちですが、私たちの父母の時代には考えることもできなかったことでした。

 わが校の60年の歩み−そこには在日朝鮮人のがんばりだけでなく私たちを暖かく見守り、力を合わせてくれた日本の方々がいたということを私は知りました。今まで知ろうともせず、ただ目を背けていた自分が恥ずかしくなり、これからは真の国際人として自分の民族を誇りに思いながらも、ほかの国の人々と共に力をあわせていこうと思うようになりました。

 まだお互いわからないことも多く、心の行き違いから悲しい思いをすることもあると思います。しかし私はわが校が歩んできた60年の歴史は、在日朝鮮人と日本の人々との友好の歩みであることを確信し、国際交流の輪を広げるためこれからも努力していこうと思います。(8月18日の「少年の主張中播磨大会」で最優秀賞を受賞)

[朝鮮新報 2006.9.7]