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北南経済協力推進委 崔英建委員長に聞く、鉄道、道路開通、開城工業地区など土台構築

 本社発行の月刊誌「祖国」2月号に掲載された北南経済協力推進委員会・崔英建委員長(建設建材工業次官)のインタビューを紹介する。(原文は朝鮮語、翻訳編集部)

過去に見られない進展

−6.15北南共同宣言発表後、5年間の経済協力事業について。

崔英建委員長

 6.15共同宣言発表後、北南間の経済協力事業において過去には見られなかった進展があった。宣言発表後から2005年までの間に11回にわたって経済協力推進委員会が開かれ、その準備のための実務接触と分科別会議も数十回にわたって行われた。

 これらの会議、接触を通じて東、西海線鉄道、道路連結、海運協力、臨津江水害防止、金剛山観光活性化と開城工業地区建設、電力協力、東海での共同漁業など経済問題で法、制度的保証を整えるための問題を真摯に討議した。

 その結果、この5年間に経済協力分野で少なからぬ成果を収めた。

 最も大きな成果は、分断のために半世紀以上も切断されていた鉄道と道路をつなぐことで北南共同の利益と繁栄を保証できる基礎を整えたことだ。

 02年9月に着工式を行った東海線、西海線鉄道と道路連結工事は北南共同の努力によって進捗し、開通式を目前に控えている。空路や海路も開かれ、北と南の代表、人士らが平壌と仁川間を行き来し、北側の貨物船が西海を出発して済州海峡を迂回し東海へと航行する驚くべき出来事も起きた。

 そうかといえば、03年8月には北南間の投資保障、2重関税防止、商社紛争解決手続、精算決済を基本内容とする4つの経済協力合意書発効通知文が板門店を通じて交換された。これによって、00年12月に採択された北南経済協力合意書が効力を発揮することになったわけだ。

 03年12月に開かれた北南経済協力制度分科第4回会議では、▼北南の開城工業地区と金剛山観光地区出入、滞在秩序に関する問題▼経済協力と物資交流の直接取引きを円滑に行うための北南間の通信、電送路問題▼北南間の経済協力に必要な法令、規定などを交換し合い、商業財産権問題などを引き続き協議していくことなどを内容とする共同報道文が発表された。

 これに基づき、04年1月には北南精算決済取引実務分科第2回会議が開かれ、「北南間の精算決算に関する合意書」履行のための04年合意書、貿易銀行と輸出入銀行間の精算決済業務に関する合意書を早い時期に採択することに関する共同報道文が発表された。第1回北南経済協力制度実務接触では「開城工業地区と金剛山観光地区出入および滞在に関する合意書」が採択された。

 03年6月30日に着工式が行われた開城工業地区建設も、計画どおりに進んでいる。

 最高人民会議常任委員会は02年11月に開城工業地区を設ける政令を発表し、開城工業地区法、開城工業地区開発規定を採択。開城工業地区で通信、検疫、税関事業を円滑に行える必要な合意書も採択し発表した。

 こうした法的土台に基づいて03年12月、開城工業地区開発事務所着工式を行った。工業地区建設のための100万坪区域内での測量地質調査、インフラ建設のための開発準備を進めた。

 北と南は、昨年上半期内に1万坪規模のモデル地区を整えることで合意しこれを推進した。

 05年だけでも同工業地区に15の中小企業が入り、各種の軽工業製品を生産している。

誰も干渉する理由ない

−経済協力事業ではいろいろと困難も多かったと思うが。

 そのとおりだ。北南間の経済協力事業を積極的に推進することは、6.15共同宣言の精神どおり民族共同の利益と繁栄を実現し、民族経済の均衡のとれた発展をもたらすための「崇高な愛国事業」だ。

 だからこそ、誰もこれに介入し干渉する理由はない。だが、米国はこの5年間、わが民族同士行う協力と交流事業を「目の上のこぶ」のように考え、一様にカンヌキをかけた。この5年間を振り返ってみると、切断された民族のきずなをつなぎ共通の繁栄をもたらすための北南協力事業は、どれ一つとっても順調に推進されたものはない。米国の策動のためだ。

 北南鉄道、道路連結事業だけを見てもそうだ。

 北南間の合意に基づき非武装地帯の地雷撤去作業が最終段階に入った中、検証を行う双方メンバーらの境界線通過問題が提起された時にも、米国は北南検証メンバーの名簿を「国連軍司令部」に提起するよう求め、「許可」問題を持ち出してきた。

 また、非武装地帯地雷除去作業が始まるや、米国は南の軍部に対して鉄道、道路連結工事の「延期」「工事速度の遅延」などの横槍を入れた。

 開城工業地区も順調に行われれば相当進んだだろうが、米国のせいで遅れた。

 米国は同工業地区建設が始まった最初のころから、南朝鮮当局に「北の核問題解決」に合わせて「速度を調節」するよう露骨な圧力を加えた。

 一方、開城工業地区に進出しようとする南の企業に対して「ロマンチックな考え」などとうんぬんし心理的に不安感を与えたばかりか、「テロ支援国」に戦略物資を輸出できないよう規定した「輸出法規」を南の企業に適用する方法で彼らの足首をしばった。

 それだけにとどまらず、米国は軍事停戦委員会米国側関係者を板門店に常駐させて誹謗する方法で北南間の経済協力事業を妨害した。

協力関係の拡大発展

−今後、北南経済協力事業はいっそう活性化すると思われるが。

 さる5年間、北と南は経済協力事業で貴重な経験を積み、同事業の明るい未来を保証する確固たる土台を築き上げた。

 何よりも東、西海線鉄道と道路が連結され、北南間に直通交易路が確保された。これによって、北南交易が「間接交易」から「直接交易」に着実に転換されたことで、物資交流費用を節約して輸送時間を短縮することができ、北南の経済がより活性化した。

 西海線は開城工業地区開発を促進し、東海線は陸路観光など金剛山観光をより促進することになるだろう。

 また、開城工業地区の開発は、北南を連結する「物資交流中心地」として開城市を発展させることになり、金剛山観光事業の活性化は民族性を固守し美しくさん然たる民族文化を開花発展させるうえで少なからず貢献するだろう。

 4つの経済協力合意書が採択、発効されることによって経済協力と交流事業はより安定的に拡大発展していくだろう。

 これまでと同様、北と南は北南経済協力事業を積極的に推進していく道が統一と民族共同の繁栄につながっていることを確信し、いかなる試練と難関が立ちはだかろうとも、それをわが民族同士の力で克服し、経済協力関係をより拡大発展させていくだろう。(中見出しは編集部)

 チェ・ヨンゴン(54)。江原道出身。男3人の末っ子。朝鮮人民軍服務後に金策工業総合大学を卒業。大学卒業後は順川セメント連合企業所技師、作業班長、職場長、技師長、支配人として活動。その後、人民経済大学を卒業し建設建材工業省局長を経て1994年から次官。03年10月から北南経済協力推進委員会北側委員長。趣味はサッカー。長男は金策工業総合大学生、長女は平壌外国語大学卒業後貿易機関に勤務。

[朝鮮新報 2006.1.27]