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〈月間平壌レポート〉 復興 肌で実感、生活水準は明らかに向上

 【平壌発=姜イルク記者】今月下旬に東海岸一帯を取材した際、咸興市に住むいとこの家で一泊した。いとこは、麺好きの記者のことを気遣って、ノンマクッスの「玉流館」と呼ばれる「新興館」に誘ってくれた。「玉流館」は冷麺(クッス)の食べ所として、平壌でも最も有名な専門店の一つ。

咸興市内の一般家庭で本紙平壌支局スタッフを交えての食事のひととき

 ノンマクッスとは、ジャガイモの澱粉を原料とする冷麺のことで、「新興館」はその専門店だ。一度に1000人を収容できる咸興市民自慢の大型冷麺店だ。

 極端に細くて、ねばりの強い麺が特徴。平壌でも何度か味わったことがあるが、ここのは絶品だった。

 ノンマクッスは、昔から咸鏡道(現在の咸鏡南・北道、両江道一帯)が有名だったという。

 1945年の朝鮮解放後、咸興市にはリュウ・ジョンナムという女性が営む人気のクッス店があった。彼女の作るクッスはうまい、という噂が広まり連日盛況だったという。

 金日成主席が生前に咸興市を訪れた際、ここのクッスを食べ、絶賛したというエピソードも伝わっている。

 国家的関心が払われるなか、60年代後半から拡張工事が始まった。76年6月、「新興館」として新たにオープンした。リュウ・ジョンナムさんは、のちに「功勲料理師(人)」になり、86年に亡くなるまで数多くの弟子を育てた。今はその弟子たちが調理を担当する。

 「苦難の行軍」と呼ばれた90年代後半の経済試練の時期にはまともに運営すらできなかったが、2001年からは正常に営業している。毎日約3000人の客が訪れるというにぎわいぶりだ。

咸興市にアパート群

 いとこの家は5階建てアパートの3階にある。最近補修工事が行われたそうで、風呂場、部屋の壁など中はきれいに内装され、窓には2重窓が設置されていた。「新しい家に引っ越した」と冗談を飛ばしていたほどだ。

 平屋に住むほかの2人のいとこも、近々アパートに引っ越すという。

 咸興市では現在、大々的なアパート補修修理と建築工事が行われている。

 咸興市のアパートは、50年代後半から60年代に建てられたものが多く、老朽化している。昨年から市内全般で補修が行われている。

 また、平屋が密集している成川江区域では、平屋を全て解体し、1000世帯以上の団地にするという。昨年から工事を始め、今年の9月に完成する予定だ。2人のいとこはこのアパートに入るという。

4年前と違う活気

 支局のスタッフ一行は19日から25日までの1週間、東海岸一帯を取材した。南は金剛山から、北は咸鏡北道と隣接する咸鏡南道端川市まで約600キロを車で走った。

 4年前の同じ時期に北半部全土を横断した際にも東海岸沿いを走ったが、その時に比べても、まるで活気が違った。行き交う車両の数は確実に増え、道路と平行する鉄道を走る貨物列車も幾度か見た。物流が活発化している証だろう。

 支局員一行が宿泊した咸興と端川のホテルも活気にあふれていた。国内の人だけでなく、多数の外国人が宿泊していた。中国、ヨーロッパを中心とした経済人や技術者だという。2000年以降増え始めた外国人の往来者数が最近、急増しているという。

 端川市は鉛、亜鉛、マグネサイトなどの鉱物が無尽蔵に埋蔵されている鉱業都市。一方、咸興市は興南肥料工場など化学部門の工場が集中する化学工業都市だ。平壌市同様、「改造現代化」が急ピッチで進んでいた。

 人民の生活においてはまだ困難なことが多々あるのも事実だが、生活水準は4年前に比べ着実に上昇している。

 最近「改造現代化」、拡張工事を行った広浦アヒル工場(咸鏡南道、定平郡)の関係者は、「70、80年代、『もうアヒルは結構』というほど食べ放題だった。しかし90年代には生産が激減した。現在は飼料など運営上の問題が解決し、近いうちに人民はまた『食べ飽きた』というほど生産が増えるだろう」と話していた。終始笑顔で応対してくれた関係者の表情が印象的だった。

[朝鮮新報 2006.3.30]