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〈月間平壌レポート〉 「一つになるすばらしさ」光州の4日間

統一運動の新たな発展予感 

 【平壌発=李相英記者】6月14日から17日まで開催された「6.15共同宣言発表6周年記念民族統一大祝典」を取材するため、平壌から空路で光州を訪れた。記者にとって南を訪れるのは初めて。「6.15民族共同委員会」海外側代表団の一員でありながら、平壌駐在記者でもあることから北の代表団とともに直行便で現地入りするという特異なポジションも手伝って、得がたい体験ができた。平壌レポートならぬ、「光州レポート」を伝える。

市全体が熱く燃える光州

どしゃぶりの雨の中、統一大祝典に参加した人々

 平壌やソウルなど首都圏で開かれてきた大祝典は、今回初めて地方都市での開催となった。140万光州市全体が北と海外の同胞を歓迎している雰囲気だった。市行政とともに市民も積極的に参加した今回の光州大祝典は、今後の地方開催のモデルケースになりうるとの意見も多数聞かれた。

 「光州市民の熱烈な歓迎に驚いた」と、平壌統一音楽団メンバーのリ・ヨンエさん。2004年の仁川統一大祝典にも参加した彼女は、「統一への熱い思いを叫ぶ光州の人びとの姿を見て、統一はもう始まっていると感じた」と話した。

 14日の開幕式は光州ワールドカップ競技場で行われた。2002年「日韓共催ワールドカップ」で南がアジア初の4強進出を果たした「4強神話」誕生の地として有名だ。

 「光州が街をあげて盛り上がりを見せたのは02年以来ですよ」。海外側代表団のガイドを務めた南側行事準備委員会のキム・ソンジンさんは、「民族が一つになることがどれほどすばらしいことか、あらためて感じた」と興奮気味に話していた。

 開幕式は激しい雨の影響で予定より1時間半余り遅れて始まったが、悪天候を吹き飛ばす参加者の熱気で盛り上がった。

 「光州抗争勇士の遺志を継ぎ、自主、民主、統一を必ず成し遂げましょう」と、北側代表が話せば、スタジアムの観衆も、「ウリヌンハナダ(われわれは一つだ)、トンイルンテッソ(統一は成った)」と応える。一つになった民族の姿を内外に示す瞬間だった。

 全ての行事が終了すると、時間は翌日午前0時をまわっていた。北、南、海外の代表らはそこから金大中コンベンションセンターへ移動し歓迎宴会に臨んだ。支給されたレインコートがまったく役にたたないほどどしゃぶりの雨のなか行事に参加し、ずぶ濡れになった服を着替える間もなく宴会場に到着した代表らは、さすがにヘトヘトの様子だった。疲れ果てた彼らの姿を見た宴会の司会者は、「南北統一行事の歴史の中で日付が変わり宴会が始まったのは初めて」と前置きしたあと、「共同宣言発表6周年にあたる記念すべき日が南、北、海外が一堂に会した宴会で始まるのも何かの縁でしょう。みなさんは今日最も早く6.15を祝う方々です」。

 半ば強引とも思えるあいさつだったが、参加者らは酒が進むと先ほどまでの疲れをみじんも見せず、積もる話に花を咲かせていた。

拡大する民間交流

光州市の武珍中学での南北共同授業

 北南の各階層代表同士の行事も多彩な形式で行われた。なかでも目を引いたのは教育分野。15日、光州武珍中学校で「南北共同授業」が行われ、北側教育分科の代表らが授業を参観した。統一問題に関する学生の理解を深めようという趣旨のもと、北と南で授業案を共同作成し、6.15宣言発表6周年にあわせて北南全域で実施しようと企画されたものだ。授業を参観した金哲柱師範大学のリュウ・ユンファ学長は「これこそ『6・15時代』の統一教育。これから北と南の教育者が力をあわせ統一朝鮮の未来を育てていきましょう」と話した。南の教員も「機会があればぜひ北で授業をしてみたい」と語るなど、教育分野での北南交流の進展に期待を持たせてくれた。

 今回の民族統一大祝典を通じて強く感じたことは、北、南、海外の距離が一段と狭まったということだ。儀礼的なやり取りに終始するのではなく、互いに言うべきことを言い、ともに歩んでいこうという姿勢が言葉の端々からにじみ出ているような印象を受けた。

 「わが民族同士」というスローガンを、北の代表だけでなく、南の代表も好んで使っていた。その点において政府、民間の区別はなかった。「自主、民主、統一」を叫ぶ数多くの学生、市民が逮捕され、殺された光州で、民族共同の統一行事が開催されたことは、時代の大きな変化を感じさせるものだった。「まだまだ道のりは遠いが、われわれはやっとここまで来た。6.15共同宣言の力は大きい」。当時を知る参加者の口から出てきた言葉には実感がこもっていた。

「真の民主化なっていない」

 民族の和解と団合の現場を目の当たりにした今回の光州大祝典は非常に印象深いものだったが、反面、冷戦時代の残滓が依然として残っていることも痛感した。

 汎民連海外共同事務局の林民植事務総長をはじめとする海外側人士数人が、南側当局により入国を拒否され大祝典に参加できなかったのだ。

 英国に留学中だった1969年、いわゆる「東ベルリン事件」関連で嫌疑をかけられ亡命を余儀なくされた林氏にとっては38年ぶりの故郷光州訪問になるはずだった。昨年、事件が当時の朴正熙軍事独裁政権によるでっち上げだったという調査報告があったにもかかわらず、現在も「スパイ嫌疑」で入国を阻まれている。

 「なぜ息子を家に帰してくれないのか、腹立たしい思いだ。死ぬ前に一度家で会いたい」。母親のパク・キョンジャさんが林氏の入国不許可措置に際してこう話していることを、南の記者が教えてくれた。

 祝典開催期間中、光州市内では反統一勢力の集会などのまとまった妨害活動はなかった。だが前出の南記者は、地方自治体選挙の結果、保守勢力の巻き返しも予想されるとして、南の統一、進歩陣営の運動はこれからが正念場だと話した。

 記者が首にぶら下げていたIDを見て海外側代表団メンバーと知ったのか、南のある民間代表が声を掛けてきた。「『国家保安法』などの冷戦の遺物が残っているかぎり、真の民主化も南北和解も訪れない。その意味では『5月光州』の課題は解決していない。統一を成し遂げることが犠牲者の遺志を継ぐ道になると信じている」。

[朝鮮新報 2006.7.3]