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〈水害被災地を訪ねて−平安南道成川郡〉 50人死亡、住宅の13%被害 家が濁流に流される

国家が物資と労働力支援 「復旧の展望開けた」

 【平壌発=文−李松鶴記者、写真−盧琴順記者】先月14〜16日にかけて降った豪雨により、平安南道、江原道、咸鏡南道をはじめとする朝鮮各地では大きな被害が出た。とくに、平安南道の陽徳、新陽、成川各郡の被害はじん大だった。具体的な被害状況と現在の復旧状況を確かめるため、平安南道成川郡を訪れた。

3日間孤立無援

濁流によって破損した平安南道成川郡の住宅

 平壌から車で約1時間。成川郡に近づくにつれ、流された橋や浸水した田畑が目に入ってくる。今も豪雨の爪痕が生々しく残っている。成川郡に入るための橋も流されていたため、迂回して同郡に入るしかなかった。

 同郡では、14〜16日の間に285.3ミリの降水量を記録。とりわけ15日夜半から16日の午前3時にかけては185.2ミリもの雨が集中的に降った。

 「成川郡では、67年に450ミリの降水量を記録したこともある。そのため私たちの郡だけで見ればたいしたことではなかったのだが、沸流江上流の陽徳と新陽でそれぞれ500ミリ、400ミリの豪雨が降ったため、下流にある私たちの郡にまでそれが一挙に流れ込んだ。そのため被害が拡大した。しかし、陽徳、新陽ではさらに被害は大きかったと聞いている」

 成川郡人民委員会のキム・サンナム副委員長兼事務長(45)はこのように述べながら、具体的な被害状況について説明した。

 同郡では50人が死亡。郡全体の13%にあたる4446世帯、1973棟の住宅に被害が及んだ。なかでも616棟は水に流され全壊。そのほかの住宅も部分的に倒壊もしくは床上浸水などの被害をこうむった。

濁流によって破損した沸流江の堤防

 また、学校をはじめとする公共施設も1階が浸水したほか、10の工場、企業所が操業に影響を及ぼすほどの被害を受けた。農業部門では3860ヘクタールの田畑が浸水し、郡内の11の橋が流され、道路も数十キロが水で押し流された。

 「他郡とつながる4つの道路が寸断されたうえに電話も不通となり、3日間は完全に孤立無援の状態だった」(キム副委員長)

 しかし、7月20日には朴奉珠総理がヘリコプターで現地入りし、被害地域を見て回ったあと、状況は一変。その後も省、中央機関の職員らが連日のように駆けつけ、それとともに住宅建設のためのセメントや被災者のための薬品や食料、生活必需品をはじめとする支援物資が届きはじめた。

生活安定に主力

 豪雨による洪水で家を流されたパク・ソンシルさん(44)は、「家が川辺にあり、夫が仕事に行っていたため、豪雨が降りだしてからは心配で寝付けなかった。近所のおばさんが心配して来てくれたので、ようやく安心して眠れたが、『水が押し寄せてきた』という近所の子どもの叫び声で目が覚めたときには、増水した川の水が家のすぐそばまで来ていた。何からどうすればいいのかわからず、寝ていた2人の子どもを起こしそのまま家の外に飛び出した。安全な場所に避難したときには、すでに家は濁流に流されていた」。当時の状況を思い出すと今でも身の毛がよだつという。

 近所の人たちは、一つでも多くの家財道具を持ち出そうと濁流に飛び込んだものの、結局何一つ持ち出せなかった。「明日からどうやって暮らしていくの?」と泣き叫ぶ子どもたちを見ながら、パクさんもどうやって暮らして行けばいいのか途方に暮れた。近所の人たちはそんな彼女を「明日からはうちに来て一緒に暮らそう」と励ましてくれたという。

 パクさんは、「支援物資を積んだヘリコプターが来たときには、信じられなかった。今も郡の党や人民委員会の人たちが先頭に立って復旧事業を行ってくれている。この恩にどう報いればいいかわからない」と声をつまらせた。

 現在、郡では住宅建設を優先的に進めるなど、被災者の生活を安定させることを最優先している。

 「学校と診療所の復旧は終わり、今では正常に運営している。国家が支援物資を送るとともに1000人の労働者を派遣してくれたので、道路はもちろん電話線の復旧も基本的に終えることができた。今になってふり返ってみると被災した当時は、住民を安全な場所に誘導する一方で、復旧事業も並行して行うなど自分が何をどうしたかほとんど覚えていない。でも今は国家が十分に支援してくれるし、全国から惜しみない支援が寄せられていることもあって、展望が開けた。近いうちには完全に復旧するだろう」(キム副委員長)

[朝鮮新報 2006.8.5]