top_rogo.gif (16396 bytes)

東大で国際シンポ 「東アジアにおける法、歴史、暴力」、法と暴力の共犯関係徹底追求

靖国問題 取引、相殺しえない絶対的責任

国際シンポには3日間で550人の聴衆がつめかけた(6日〜8日)

 東アジアにおける近現代史を分析する国際シンポジウム「東アジアにおける法、歴史、暴力」が、6日から8日まで東京都目黒区駒場の東京大学駒場キャンパスで開かれた。主催したのは、同大学、共生のための国際哲学交流センター。高橋哲哉・東大教授ら日本、韓国、中国、台湾、フランスなどの研究者13人による3日間にわたる4つのテーマの講演、討論を、約550人の聴衆が熱心に聞いた。

 高橋教授はシンポに先立つあいさつの中で、文化社会学者・ヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論は暴力の歴史の哲学である」という言葉を引用しながら、「法は暴力を告発するだけでなく、それ自身が暴力として抑圧の手段となる。だから、哲学と歴史の交わる地点で、法と暴力の共犯関係を問わなければならない。東アジアの近現代史において、法と暴力は単に対立するだけでなく、どのように通じ合ってきたのか、徹底的に討論したい」と語った。

 4つのテーマは「近代化、ジェンダー、暴力」「法、戦争、植民地」「ポスト1945年史における法、暴力、トラウマ」「トラウマ的歴史における権力と暴力」。

「法、戦争、植民地」のテーマで講演する講演者たち(右端が高橋哲哉・東大教授)

 初日の「韓国における近代女性主体形成の多層性」と題した金恵淑・梨花女子大学哲学科教授の講演では、解放後の南社会において、いかに女性たちが国家主義と法の下で、抑圧され続けたのかを明らかにした。同教授は「解放された近代韓国が、一方では男性的恥によって従軍慰安婦の存在を認めようともしなかったし、純潔で貞節の高い民族の娘や母親になることを女性たちに強制し、他方では『先進国建設』という名のもとに『産業力学』として女性たちを安く動員すると同時に、妓生観光や基地村女性たちの存在を暗黙的に受容することによって女性を他者化し、国家が管理、処分できる資産のように考えてきた」と指摘した。

 2日目には、高橋教授が「BC級戦犯と『法』の暴力」と題して講演した。同教授は、戦後日本が置き去りにしてきた「靖国問題」を徹底的に追及した話題作を昨年刊行。この日の講演では、「A級戦犯」ではなく、「BC級戦犯裁判」で死刑判決を受けた南の趙文相と李鶴来の事例に触れながら、日本の植民地主義と侵略戦争の本質をえぐり出すとともに、連合国および戦後日本国の「法的暴力」の凄まじさを明らかにして、次のように語った。

 「BC級戦犯裁判で等しく死刑判決を受けた2人。趙文相は処刑され、処刑された結果として、今なお『靖国神社』に祀られ、『日本』の中に囚われ続けている。李鶴来は処刑を免れ、生き延びた。しかし、日本国籍を一方的に剥奪され、援護と戦後補償から一貫して排除されてきた。たしかに『靖国神社』への合祀は免れたが、戦後の李に真の解放が訪れたとは言えないだろう。一方では徹底した『同化』。他方では徹底した『排除』。そこに不断に働いているのは国家の『法』の暴力なのである」

 最終日にはフランスのアラン・ブロッサ・パリ第8大学教授が「人道に対する罪はミメティズム(模倣の論理)と相対主義に解消可能か」と題して講演。同教授は「いまの日本の政治指導者の発言や、うんざりするほど『(靖国神社の)遊就館』で見せられる歴史修正主義の言説、さらに大きな波紋を呼び起こした歴史教科書にしても、『校庭シンドローム』ともいうべきレベルの議論に聞こえる」と鋭く批判。さらに「わが国(日本)だけが悪者なのではない、他国だってやっている」という弁明について、「ここに見られる『ミメティズム』は、集合的記憶の『小児病』にほかならない」と断じた。

 また、同教授は、「共同体を体現すると自称する国家権力によって行われた犯罪は、私自身と、この集団に属する他のすべての人々によって、主体的にひき受けられるべきだ」と指摘し、次のように述べた。

 「ここで問われる責任とは、他の国の犯罪と比較され、相殺されうるような『相対的』なものではなく、『私自身の責任』として問われる『絶対的』な責任にほかならない。以上の考察からすれば、日本の歴史修正主義者たちの論理がいかに破綻しているかは明らかである。例えば『遊就館』という名の『記念館』の展示にも、彼らの主張の支離滅裂さを伺うことができる。それは彼らが『人道に対する罪』や『ジェノサイド的行為』の扇動者であり、本来ならば絞首刑どころか、その数千倍もの報いを受けるべき重罪人だったという事実を少しも覆すものではない。(仮に勝者の法廷だったとしても)良識的に考えれば、『犯罪はあくまでも犯罪』であって、他の国の犯罪との取引や比較、相殺の対象とはなりえないのは明らかだ」(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2006.1.17]