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〈拉致問題を問う〜対話と圧力〜C〉 解決志向する者と阻む者

初めに憎悪、蔑視ありき

 日本の政府とマスコミの関係者が拉致問題を語るとき必ず持ち出す言葉がある。「誠意」だ。折に触れ、彼らはいっせいに「北朝鮮は誠意を示せ」と合唱する。北朝鮮の誠意とは何か。もしくは、日本の誠意とは何か。

 このじつにあやふやな言葉が拉致問題の絡みで頻繁に使われ始めたのは2004年からだ。同年12月8日、細田博之官房長官(当時)が横田めぐみさんのものだとされる骨のDNA鑑定結果を発表した。それは横田さんのものではないとの結論が得られたという。としたら、この結論を出すに至った経緯、つまり鑑定プロセスを公開すべきだが日本政府はそのきわめて簡単な手続きをなぜかかたくなに拒み続けている。あまつさえ、取材をすればするほど鮮明になるのは「横田さんのものではない」との結論を出した者がまったく不明というまことに奇怪な光景である。

 さらに、DNA鑑定にたずさわった帝京大学の吉井富夫講師を官房長官発表からほどなく警視庁科学捜査研究所の法医科長に「天上がり」させて囲い込む妙な芝居さえ演じ、ようするに日本政府(警察)と吉井氏が裏取り引きをしたとの疑惑さえまといつかせているのだ。

 そうした一連の流れは交渉相手もさることながら拉致被害者および家族とともに、日本国民をも激しく愚弄するものだと言わざるをえないのだが、いずれにしろ、とすれば「誠意がない」のは誰か。まず「誠意」を欠落させてしまっているのは誰か。

 この問いは次の問いを引き出す。何のためにそんなふるまいに出るのか。答えはひとつしかない。02年9月17日の日朝平壌宣言の損壊である。

 同宣言以降、日本の政権内部とともに外務省や警察庁などの政府機関において拉致問題の解決を志向する者≠ニ拉致問題の解決を阻む者≠フせめぎ合いがしだいにし烈化した。この帰結点のひとつが横田さんの骨とされるもののDNA鑑定の「結論」だった。つまり拉致問題の解決を阻む者≠ェ勝利したわけだが、では、拉致問題の解決を阻む者≠ェ好んで口にしている言葉は何か。「誠意」である。

 誠意を欠落させた者の弄ぶ「誠意」ほど醜悪なものはない。とにかく、彼らは「誠意」の連呼により何かを期待しているのだ。彼らを観察する。と、すぐ目に付くのは米国に対するおもねりの姿勢である。

 戦後60年余りが過ぎてもなお日本が米国に従属している構図は周知の事実だが、それをまざまざと教えてくれるのは、1960年6月、日米安全保障条約といっしょに締結した日米地位協定(日本国と米合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定)である。

 この条文に添って正確に言おう。日本は明白に米国の植民地なのだ。近年では、たとえば毎年末に米国政府が日本政府に突きつける、国政のあらゆる場面に関する実行すべき指導書(要望書)があり、ちなみに法務省はいま入国管理や検察情報管理の新システムを導入し関連情報をそっくり米国に提供しようとしている(同整備の一環として今国会で改正入管難民法が成立)。加えるに、必ずやこれからの日本の残虐きわまりない桎梏となるであろう日米安全保障協議委員会(2+2)合意が生まれたりしているが、視点を拉致問題のほうへ戻そう、ようするにそうした環境下で展開されている「(拉致事件解決は)国家の意思」(次期首相といわれる政府高官のひとりの発言)とは、もしくは彼らが常に拉致問題とセットで北朝鮮を指さし高唱する「国家主権」や「愛国」とはいったい何なのか。

 また、拉致≠ノかかわる運動を取材していて愕然とせざるをえないのは、この運動の指導層がとてつもなく主観的な愛国にまみれきり、いまでは平然と運動の根幹であるはずの拉致問題解決を、口とは裏腹、しきりに背後へ放り投げているような格好である。

 たとえば、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会全国協議会)の佐藤勝巳会長は「北朝鮮に対抗するため日本は核武装すべきだ」と公言し、自身の主宰する月刊誌『現代コリア』などを使いしきりに「(日本および日本国民は)戦争を恐れてはならない、核ミサイルを持て」と煽動する。

 なぜかくもいびつな形になったのか。佐藤勝巳氏の歩みに焦点をあてると原因を推定できるのではないか。彼はもともと北朝鮮憎悪の感情を強く抱き反北朝鮮運動を進めていた。で、そんな彼がたまたま90年代末に拉致問題と出合った。拉致問題は、佐藤氏本人の発言(レポートなど)によれば、たちまち彼独自の憎悪を、佐藤氏の強調する「黒い喜び」を肥大化させてくれたようなのだ。いずれにしろ初めに対北朝鮮憎悪や蔑視ありき。とすれば、拉致≠フ運動は地を現わしただけといえなくもない。

 これをあらためて戦前の血を引く反省なき日本支配層の権力欲が包み、さらに米国の東アジア戦略が全体を厚く被う。無残だ。そこには被害者の涙がもうない。(野田峯雄、ジャーナリスト)

[朝鮮新報 2006.5.20]