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「平壌側のハートに迫りうる道」

 ジャパンタイムズ5月14日付は「平壌側のハートに迫りうる道」と題して東京発M・S・NASIR氏による次のような記事を載せた。

 4月下旬、メグミの母親・早紀江の訴えに接したワシントンは激情につき動かされた。彼女は議会の人権委の前で拉致された娘のことについて証言を行い、ブッシュ大統領と会談した。拉致問題がこれほど全地球的規模で明らかにされたのは初めてのことであり、米国の国会議員や一般の国民に大きな衝撃を与えた。

 しかしながら、むかし天皇ヒロヒトの軍隊は、中国、フィリピン、朝鮮その他の国々から十数万の若い女性を拉致して性奴隷として虐殺し、役立たなくなるとモノのように捨てたのである。近年になって日本によって拉致されたこれら若い女性たちは、今は年をとり、老婆になっているが、次々と日本を訪れ、政府、司法当局、言論、そして、一般の世論に声を大にして訴えた。しかし、彼女らが受けたのは度重なる辱めと屈辱だった。横田夫人に尋ねたいが、日本が犯した拉致と朝鮮が犯した拉致の間にはどうしてこれほどの違いがあるのだろうか。北朝鮮が拉致した被害者たちは少なくとも人並みの生活を送り、結婚して子どもを産み、家庭を持つことが許され、人権については日本よりはましな配慮を与えられたではないか。

 日本は横田夫人をワシントンに送り込み、新聞やテレビを総動員してのPR活動をさせるだけの力を持っていたのであるが、やはり誰かの娘でありながら日本人によって拉致され集団的な暴行にさらされたうえに最小限度の正当な報いさえ拒まれている数千、数万の乙女たちにはたしてどれだけの配慮を示したのか? この点に関する日本の態度は利己的だという一言につきるものであり、横田ケースについての騒ぎ立てに同調できない。

 もしも、日本政府が横田夫人をして自分で娘のことで経験した悲しみがほかの数多くの母親が経験した同じ悲しみであったことを訴えさせたなら、歴史は変わりえたであろう。北朝鮮の当局も少しは胸を打たれたと思うのであるが、どうであろうか。(訳=鄭敬謨)

[朝鮮新報 2006.5.23]