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〈拉致問題を問う〜対話と圧力〜D〉 「北朝鮮人権法案」 平壌宣言を白紙化へ

国内統制の踏み石に 

 ブッシュ米大統領は5月20日の新イラク政府の発足を歓迎し、「民主主義へのプロセスは終わった」との声明を発表した。だが、その日イラクでは数十人が爆死した。03年の根拠なき米英軍イラク侵略から最近までのイラク民間人の被殺りく者数は、少なくとも4万人前後と推定される(イラク・ボディ・カウント)。

 04年10月29日に刊行された英医学論文誌「The Lancet」におけるレポートは、この時点ですでに米軍が10万以上のイラク人を殺りくしたと報告している。そのほとんどが女性と子どもだ。また、たとえば米兵死者数も約2500人と推定されるが、すなわちブッシュ氏の誇る「民主主義へのプロセス」は人権破壊の極限形態であるジェノサイド・プロセスである。このプロセスは終えんしたのか。逆だ。ますます拡大深化している。

 そのようなブッシュ氏がなんと「人権」について憂い顔をしてみせる。あさましい。おまけにブッシュ氏の吹く笛の音に合わせ身をくねらせている東京の永田町の議員たちほど哀れな存在はないと思われる。今国会に与党と民主党がそれぞれこっそりと提出した、いわゆる「北朝鮮人権法案」(議員立法)の件である。

 うち与党案の狙いは何か。次のような説明があり、ここでも当然のごとく拉致問題をテコにしている。

 「現下の北朝鮮の人権状況等にかんがみ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題について、国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ実態を解明し、及びその抑止を図る必要がある」

 同法案作成の手がかりにしたのは昨年12月の国連総会における、EUや米国、日本などが提出した「北朝鮮の人権状況」に関する決議だという(法案第1条)。それにしても、こんな疑問が湧く、彼ら法案作成者の両眼は節穴だろうか。この国連決議は採択されたものの賛成88、反対21、棄権60。ようするに、かろうじて体裁をとりつくろったしろものでしかない(ちなみに中国やロシアは反対、韓国やインドは棄権)。

 おまけに、関心を引かれるのは法案の主柱が「北朝鮮人権侵害問題に関する国内世論の啓発」だという点である。ひどく「国内世論の啓発」にこだわる。

 民主党案も与党案と同じように拉致問題をテコにする。だが、より強く「脱北者の保護」や「脱北者の保護及び支援を行う民間の団体との協力並びにこれに対する支援」などに重心を置き、冷戦崩壊直前の東から西への大量脱出者になぞらえた、脱北ブローカー・ビジネスの国家援助をたくらむ。

 いずれにしろ両法案ともふたつの逸脱行為をおかそうとしている。ひとつは他国に対する内政干渉、もうひとつは、ホンネをいっそうはっきりさらけ出したと言うべきか、「北朝鮮」利用の国内世論の誘導意思である。しかも、これらは米国が04年に定めた北朝鮮の体制崩壊を意図する「北朝鮮人権法」のコピーでしかない。

 そのことは、たとえば自民党議員のつくる「対北朝鮮外交カードを考える会」などによるブッシュ米大統領への「北朝鮮に圧力をかけてほしい」との陳情ポーズを想起させる。この陳情者たちにとって「北朝鮮」は彼らなりの米国に対するおもねりのナイーブな裏返しなのだ。

 それと、たとえば韓国統一部によるレフコウィッツ米大統領特使(北朝鮮人権担当)の4月28日付ウォールストリート・ジャーナル紙上発言に対する「人権を語りながら、事実上、北の困難な状況に顔をそむける反人道的、反人権的態度で一方的な思考」との批判を対照すると、日本の位相がより明白になる。

 つまり、米国のコピーを握りしめて平壌宣言の白紙化へ向かわせる動き、言い換えると、米国(ブッシュ政権)の発信する情報もしくはイメージに操られ続ける日本という図式だ。

 しかし他方、それに離反するような芽が生まれ、徐々に成長している側面を見落とすわけにはいかない。もはや平然と拉致問題を奇貨ととらえ、それを国内統制整備の一環とし、さらにネオ・ナショナリズム台頭と結ぶ流れである。この方策のひとつが前述した与党案の「国内世論の啓発」なる表現になり、同時にその法案とワンセットにして持ち出している共謀罪へ変形させているとみてもまちがいなさそうなのだ。

 こうした今日の事態(芽)をもう少し理解するため視野を安全保障面に広げるなら、日本は確かに日米安全保障条約の枠内にあり、巨額なMDビジネスの進行過程でもすでに日米安保情報システムの共有および一体運用化などを進めているが、これとともに着実にステップを踏んでいる武器輸出3原則撤廃や集団自衛権行使の過程は、憲法改正問題と絡み合いつつ、「日本独立」を夢想させてもいるのである。

 とにかく、拉致問題は拉致問題ではなくなろうとしているのだ。いま私たちの眼前に広がっているのはもはや政治運動へ転換され、しかもさまざまな形で国内統制の踏み石にされようとしている寒々とした光景。いわば戦争遂行のため貪欲に「私の悲劇」を国民洗脳用物語などに仕立てあげていった、あの人権のカケラもない過去のメカニズムである。(野田峯雄、ジャーナリスト、おわり)

[朝鮮新報 2006.5.26]