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〈横田、ブッシュ会見を眺めながら −下−〉 中国の浮上に苛立つ日本

 「感情の錬金術」という言葉があって、これは「靖国問題」(ちくま新書)の中で、著者の高橋哲哉氏が披露した造語であるが、戦場で倒れた死者を悼む悲嘆の気持ちを、歓喜の念に転換させる点において、靖国神社はまさに「感情の錬金術」を可能ならしめた国家の有用な施設であるというのが、高橋氏の指摘である。これを念頭において考えるとき、拉致問題という装置を通して小泉「劇場」が巧みに演じて見せたのが、「感情の錬金術」であったというのが私の判断である。

 今までは加害者として糾弾されがちであったのが、日本人の立場であった。それが拉致問題を契機として日本人全体が横田めぐみさんの親御さんと心理的な一致をとげ、逆に自分たちこそが被害者であったという新たな立場を獲得したのである。日本自身が犯したかつての国家犯罪をいっさい棚に上げたうえでのこのような立場の逆転は、日本人の鬱屈した心理状態に快感にも似たカタルシスを与えた点においてまさしく「感情の錬金術」であったのだ。そして、この巧みな「錬金術」を可能ならしめたのが、朝鮮があたかも悪魔の巣窟であるかのような激烈なヘイトキャンペーンである。しかもこのヘイトキャンペーンの先頭で旗を振ったのが、岸信介の孫安倍晋三であったのは、誠に象徴的だといわざるをえない。

 東条以下7人のA級戦犯が処刑されたのは1948年12月23日であるが、同じくA級戦犯であった岸信介が無罪放免で巣鴨拘置所から釈放されたのはその翌日、つまりその年のクリスマス・イブであった。獄門を出た岸が、当時吉田内閣の官房長官を務めていた実弟・佐藤栄作の官邸に直行し、夕食としてあらかじめ所望しておいたマグロのトロで舌鼓を打ったというのは、ずいぶんと人口に膾炙されてきたエピソードであるが、実をいえば岸は獄中にいたときから、OSS(CIAの前身)を通じてワシントン当局からの接触を受けており、釈放されたあと、自分が首相に擁立されるだろうということと、首相になったあと果たすべき任務が何であるかということをあらかじめ知っていたのである。最近とみに慌しい動きを見せている日米間の軍事一体化は、半世紀前のあの頃、すでに岸に課せられていた3項目の任務の達成が最終段階に至ったことを示すものであるが、岸が生前果たすべくして果たしえなかった任務が、近頃になって(小泉の手で)達成の域に接近しえた裏に、拉致事件が大きな役割を演じたことは、前述の通りである。

 横田夫人を公式にワシントンに迎えたのは、国防副次官のリチャード・ローレスであって、このことは米政府当局が拉致事件そのものを軍事問題の一環として捉えていることの何よりの証拠ではないのか。日本政府のお膳立てで拉致被害者家族団がワシントンを訪れ、政府の要人と接触する時、彼らが米国に要求してやまなかったのは朝鮮のレジーム・チェンジ(政権取替え)であったのであり、これは取りも直さず先制攻撃による軍事行動の要求にほかならない。日本政府もまた、軍事的利用価値の側面から横田めぐみさんの拉致事件を捉えてきたという謗りを免れないだろう。

 ブッシュに会った時の横田夫人の印象は「善と悪をきちんとわきまえている人」というものであったらしいが、これを聞きながら私は、米国の特別の計らいで無罪放免の恩典に浴した岸信介の心境がどんなものであったか、推量せざるをえなかった。彼からすれば米国は絶対的な善であったであろう。そして米国が敵とみなす国は自動的に悪であったはずだ。以来日本は、岸流のDNAを引き継ぎ、善悪の判断を米国に一任する国としてあり続けてきたのであるまいか。

 憲法9条を守らんとする日本の平和勢力はこの点を憂慮してきたのだと思う。米国が勝手に起こした戦争に日本が巻き込まれるのではあるまいか、と。だが、拉致騒動以降の情勢は逆ではないのか。中国の急速な浮上にいら立っている日本が先に手出しをして米国を巻き込むシナリオのことだ。真に憂うべきは朝鮮か、日本か。(鄭敬謨、「30の会」東京ニュースより)

[朝鮮新報 2006.6.7]