ミサイル問題 朝鮮だけ持てぬ理由ない デヴィ・スカルノ夫人に聞く |
国交正常化が打開の道 金日成主席が1965年4月にインドネシアを訪問し、インドネシア総合大学の名誉博士号を授与された後にスカルノ・インドネシア大統領らと写した写真2点が、朝鮮から送られてきた。写真を受け取るため、7月31日に朝鮮会館(東京都千代田区)を訪れた故大統領の未亡人、デヴィ・スカルノ夫人に、ミサイル問題をはじめとする最近の朝鮮半島情勢に対する見解を聞いた。夫人は一昨年2月を皮切りに、これまで3回訪朝している。 ミサイル発射 朝鮮のミサイル発射に関して、日本がなぜあんなに騒ぐのか、とても不思議だった。 世界47カ国がミサイルを所有し実験を行っているのに、なぜ朝鮮だけがミサイル実験をしてはならないのか。しかも今回は、ロシア近海に落ちた一発を除いて全て朝鮮の近海に落ちている。もちろん、日本に事前通告しなかった問題はあるが、朝鮮海域を通る漁船や民間の船舶には通報したと聞いている。 米国はもちろんイギリスやフランス、ドイツなどもテストをしている。ミサイルだけでなく、米国はインドネシア近海のマーシャル群島で過去何十年にもわたって核実験を行っている。 にもかかわらず、米国は世界のポリスのようにふる舞い、実験をして良い国と悪い国を振り分けている。 私がここ数年言い続けているのは、なぜ朝鮮だけが(核やミサイルを)持ってはいけないかということ。世界の全ての国が持っておらず、その中で朝鮮だけが持ったのなら、それはいけない。しかし、200近い世界の国の4分の1が持っていて、朝鮮だけが持ってはいけない理由はどこにあるのか。 朝鮮は破壊的な国で、「ならず者」国家だからと言うなら、「ならず者」国家と言われるまで追い込んでしまったことに目を向けるべきだ。朝鮮側からしてみれば、朝鮮戦争停戦後50年以上も経済制裁を受けてきた。生きる道を閉ざされてきたも同然だ。その点について考えるべきで、ただ非難すべきではないと思う。 今の状況を見ると、要するにホワイトハウスの意思に背く国家元首は国ともども経済制裁を科して、無理やり米国に振り向かせようとする政策だ。それに日本が加担している。日本はアジアのリーダー格として、もっとできることがあるはずだ。 コメ支援 私は、日本の政治家がもっと徳のある政治を行うべきだと思う。主義主張が違っても、朝鮮をもっと尊敬すべきだ。 たとえば、隣国が食糧不足にあえぎ、それによって死者まで出ているときに、条件をつけて、その条件をのまなければ援助しないというやり方は納得できない。私の正義感が許せない。だから昨年、私が名誉会長を努める「金日成花金正日花普及後援会」を通じて朝鮮に120トンの精米を届けた。支援米の袋には「with LOVE デヴィ・スカルノ」と書いた。中国の瀋陽から貨物列車で平壌まで運んだ。列車が駅に到着する際、朝鮮赤十字社の方とともに駅で出迎え、一緒に荷物を降ろした。 国交正常化 私はこれまで3回訪朝し、そのつど、いろいろな方にお会いしたが、その方たちに、小泉さんは約束を破ったではないかと言われ続けてきた。小泉首相は訪朝し、国交正常化すると約束して帰ってきた。その約束がいまだに実現されていないというわけだ。 今でも少なからぬ日本人観光客が朝鮮を訪れているが、国交が正常化されれば、より多くの日本の人が訪れるだろう。逆に朝鮮の人も日本に来ることができる。韓国の観光客数も日本をはるかにしのぐが、南北が統一されれば、すべての離散家族の再会が可能だ。 日本人観光客が増えれば増えるほど、ホテルや観光関係者も潤う。経済的にも非常に良い方向に進むだろう。朝鮮に投資しようとする企業が出てくるかもしれない。 横田めぐみさんのご両親も、孫娘に会いに平壌に行った方が良い。何度でも会いにいけば、通訳を介してでもそのうち事実を打ち明けてくれるのではないか。めぐみさんの友人に会えるかもしれない。夫にも会って詳しく話を聞けば真実もわかってくると思う。 現状打開 今、日朝関係は最悪の状態にあるが、それを打開するには、やはり国交正常化しかない。 それとともに、在日の人たちはもっと発言すべきだ。その発言がマスコミで取り上げられ日本人の目にとまれば、日本人も違う見方があることに気がつくだろう。日本の人たちも十分わかると思う。今はマスコミを通して一方的な情報しか与えられていない。 日本でも反ブッシュ、反イラク戦争、反自衛隊海外派兵を主張する人たちがいる。朝鮮の問題にしても、違った見方をする人たちが声を大にして、それがマスコミに取り上げられれば、また違った反応も出てくるはずだ。 少なくとも米国では、ある意見に対する反対意見も必ず載せる。日本では一方的な意見だけが目立つ。ハイエナのごとく弱い者いじめをしている感じがして、とても嫌な気持ちになる。 とにかく、人の行き来が活発になり、互いに話し合ってわかり合えるようになることが大切だ。(まとめ=文聖姫記者) ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ 1959年、インドネシア共和国のスカルノ大統領と訪日中に出会い、同年11月にジャカルタで結婚。70年、スカルノ大統領が逝去。その後、パリに亡命。社交界の華として賛美され、“東洋の真珠”と称される。80年よりパリからインドネシアに戻り、実業家として、石油、ガスの分野でプラントを設立するなど、各事業を展開。91年、ニューヨークへ移住。環境問題や先住民の生活保護、コンサート・ピアニストとオペラ歌手への支援など、さまざまな活動に携わってきた。現在日本で数々のテレビ番組に出演。全国各地で国際的視野の形成、人生観の確立などをテーマに講演会などを行うなど、多岐にわたり活躍。主な著書に「パリからの手紙」(光文社)、「デヴィ・スカルノ自伝」(文芸春秋社)など。 [朝鮮新報 2006.8.8] |