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「核実験の国」で見た「平和な光景」 日本の人道支援団体関係者が本紙平壌支局に寄せた寄稿文

 朝鮮が地下核実験を行った10月9日、首都平壌に滞在する日本人がいた。朝鮮の子どもたちへの人道支援活動を行っている「ハンクネット・ジャパン」の関係者たちである。同団体の世話人を務める米津篤八氏が「核実験の日の平壌」について記した一文を朝鮮新報平壌支局に寄せた。【平壌支局】

「戦争は望まない」

開城の朴淵瀑布にて。ハイキングに来た地元のスポーツ団の少年たちと(提供=米津篤八氏)

 朝鮮の子どもたちに粉ミルクを送る活動をしている私たちハンクネット・ジャパン(北朝鮮人道支援ネットワーク)の一行は、ちょうど平壌滞在中に朝鮮の核実験成功のニュースを聞くことになった。歴史的な瞬間に居合わせた者として、そのときの平壌の姿を記しておきたい。

 10月9日午後、私たちは平壌市育児院を訪れて医薬品などの支援物資を引き渡したあと、朝鮮新報社の平壌支局を訪問した。そこで初めて金志永支局長から「核実験に成功したとの報道がありましたよ」と聞かされた。昼のラジオと夕方のテレビで短いニュースが流れたという。

 核実験成功の事実以上に私が驚いたのは、その日の平壌の街があまりに平穏だったことだ。平壌近郊の農村では農民たちが稲の刈り入れに忙しく、平壌外国語大学では学生たちがグランドでサッカーに興じていた。

 支局長とともに夕食をとりに夜の街に出た。レストランでは店員も客も、何事もなかったような表情だ。ウエイトレスのひとりに核実験成功をどう思うか聞いてみたが、少し恥ずかしそうに、「ああ、そうですか。忙しかったのでニュースを見ていなくて知りませんでした」と答えただけだった。

 翌10日は朝鮮労働党創建61周年の祝日だ。街の様子が気になった私は、早起きしてホテル近くを散歩してみた。大同江のほとりへ向かう。犬をつれて散歩する女性、ジョギングをする青年たち、釣り糸をたれる老人、バトミントンをする子どもたち…。あまりにありふれた休日の朝の光景だ。

 ホテルに戻り、朝食をとる。コーヒーを運んできた女性従業員に、昨日の核実験のニュースを見たかと尋ねてみた。彼女は淡々と答えた。「夕方のニュースで見ました。もちろん戦争は望まないし、核はないほうがいいけど、米国が脅威を与え続けるなら、こちらも黙っているわけにはいきませんよね」。

自国を守る「権利」

平壌市育児院にて。ハンクネットのメンバーと遊ぶ子どもたち(提供=米津篤八氏)

 口調はあくまで静かだったが、同時に強い自尊心に支えられているようだった。

 そのような静かな反応は、平壌市民に共通したもののようだ。同じホテルに宿泊していた在カナダコリアンの婦人は、9日夕のコンサート会場でニュースを知った。コンサート開演前に「わが国の核実験が成功裡に行われました」との場内アナウンスが流れたが、聴衆は特に驚いたり熱狂する様子もなく、パラパラと静かな拍手が聞こえただけだったという。

 朝食を終えてから、市内観光に出かけた。家族連れで混み合う動物園では、チンパンジーの芸に笑いの渦が広がっていた。牡丹峰ではピクニックにきた人々が三々五々弁当を広げて歌い踊る姿や、若いカップルが盛装して結婚式の写真を撮る様子が見られた。

 夜は夜で市内各所で夜会が開かれ、若者たちがライトアップされた広場を埋めた。爽快な音楽に合わせて、あでやかなチマチョゴリが風に舞う花びらのように揺れ動く。

 その平和な光景を見ながら、なぜか鼻がつんとなった。苦難のすえにやっと手に入れた、このささやかな幸せを破壊する権利は誰にもない。

 「朝鮮の核実験に反対する」と口で言うのはたやすい。しかし、日本が米国の核の傘の下にある現実を省みれば、その声はうつろに響く。朝鮮人以外の誰が朝鮮の安全を守ってくれるというのか。

 11日朝、気温がぐっと下がった。大同江の川縁に立つと、川面を渡る風が頬を打つ。祝祭の終わった街、人々が足早に職場へと歩いていく。

[朝鮮新報 2006.10.19]