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平壌−瀋陽 12時間列車の旅

人々との出会い、貴重な体験

 【平壌発=李松鶴記者】平壌から瀋陽までの往復、飛行機で行けば50分で着く道のりを、列車に乗って旅した。車窓を流れる風景を楽しみつつ乗客たちと触れ合う貴重な体験ができた。

一時停車、のんびりトランプに興じる乗客

2004年4月に爆発事故が起きた龍川駅(平安北道)。被害の痕跡はまったく見あたらない

 平壌を出発したのは、12日の午前10時15分。車内は4人で一つのボックス形式となっており、上下2段のベッドが2組備え付けられている。平壌から瀋陽までは片道42ユーロ(6340円)。列車は12両編成で、前の2両は北京までの国際線、残り10両は新義州までの国内線だ。客車を牽引するのは「内燃205」号。朝鮮でもっともポピュラーな「赤旗」号ではなかったので、ちょっとがっかり。

 平壌駅は見送りに来た人たちでごったがえしており、中には別れを惜しみながら涙を流す人たちもいた。もちろん平壌支局のスタッフも見送りに来て、「生水は絶対に飲んではいけない。体にはくれぐれも気をつけるように」と重ね重ね注意してくれた。

 平壌駅を出発した列車はゆっくりと進んでいく。平壌中心地を離れると、車窓からは黄金色に波打つ稲穂を刈る人たちの姿が見えた。仕事の手を休め、列車に向かって手を振る人もいた。窓から見た限りでは、どの田も稲が頭を垂れており、天候に恵まれなかった割にはさほどの影響はなかったように見受けられた。

 列車は粛川、定州と順調に進んだが、宣川駅で一時停車した。乗務員の話によると、前を走っていた貨物列車が脱線し、撤去作業をしている最中で1時間もすれば出発するだろうとのことだった。

中国の鳳凰城(ポンファンソン)駅。車窓ごしに写す

 乗客たちはいっせいにホームに降り、背伸びをしながら新鮮な空気をおいしそうに吸い込んでいた。その後は車内の至るところでトランプが始まった。朝鮮では現在、「サーサーキン」という、日本で言えば「ページワン」と「大富豪」を足して2で割ったようなものが主流だ。すべての乗客がトランプを持参してきたわけではないのだが、車内販売でトランプを売っており、この時はあっという間に売り切れてしまった。

 「勝ち進めば列車も進むというものさ。負けた時に何を出すか考えておいた方がいいよ」「手の内はすべて読んでいる。今日ばかりは絶対に負けられない」などと互いをけん制しながら、乗客たちはトランプに興じていた。

 乗客の中には、朝鮮観光を終え北京に向かう英国人5人もいた。朝鮮語がわからない彼らは、乗務員に時計を見せながら、「いつ出発するのか」とジェスチャーでコミュニケーションを取っていた。1時間後に出発すると分かった後も、別段あせったり怒ったりせず「OK」とほほ笑んでいた。

 列車は乗務員の言うとおり、1時間後に宣川を出発し、新義州と丹東で出入国および税関検査を行い、午後11時(現地時間午後10時)に無事瀋陽に到着した。

「在日同胞は大変だろう」と新義州税関職員

 列車の中では、さまざまな人と出会えた。

 丹東から乗った北京駐在朝鮮大使館のある参事は、「南のメディアは、朝鮮が核実験をやって以来、中国政府が新義州と丹東を結ぶ朝中親善の橋を遮断したなどと報道しているが、そんなことはない。私はよく丹東に来るがいまだにそんなことはない。この列車が中国に入ったことが誤報だという何よりの証拠だ」と語っていた。

 新義州では、税関の職員たちが「日本で暮らす同胞たちは大変だろう。日本はなぜわが国を目の敵にするのか。何が狙いなのか」と、しきりに質問を投げかけながら、朝鮮を取り巻く国際情勢がどうなっているのかを聞いてきた。検査が終わって下車する時、「何もないけど、今日出会った記念に」とタバコまでくれた。彼らは、中国語はもちろん英語にも堪能で、中国人だろうが英国人だろうが苦もなくコミュニケーションをはかっていた。

 瀋陽から平壌への帰りの列車で同席したパク・ソンフィさん(80)は、今回出会った人たちの中で最も印象に残った一人。

 7月末、吉林省で暮らす弟に会うため一人で列車に乗ったパクさんだが、中国語がいっさいわからない。弟からの手紙だけを頼りに、身振り手振りで中国人に道を尋ねながら電車を乗り継ぎ、バスに乗ってようやく弟の家にたどり着いた。

 「それなのに弟はいなかった。息子の借金を返済するため、出稼ぎに行っていたから」とパクさんは話しながら、近所の中国人がここまで来たのに弟と会わずに帰るなんてだめだ、自分たちが面倒を見るから弟が帰ってくるまで家で待っているようにとお金を少しずつくれながら、身の回りの世話をしてくれたと語った。

 1カ月後、弟と23年ぶりの再会を果たしたパクさんは、その間募った話をしながら、平壌への帰路に着いた。

 パクさんは、「弟は瀋陽駅まで付いてきたが、姉さんのために何もできないことを許してくれとずっと泣き通しだった。私はそんなことはない、お前に会えただけでもうれしかったと慰めてあげた」と頬を濡らした。

 パクさんのビザ有効期間は2カ月で期限を過ぎていたが、新義州で事情を聞いた税関の職員たちは、「それは仕方ない。ハルモニ、一人でよくがんばったね」と罰金を免除した。

 平壌に到着したのは17日の午後7時30分。平壌支局のスタッフたちが「体調は崩さなかったか。仕事はうまくいったか」などと聞きながら、温かく迎えてくれた。

 わずか6日間しか離れていなかったのに、平壌がやけに懐かしく思えた。

[朝鮮新報 2006.10.25]