〈論調〉 資本主義に真の民主主義ありえぬ |
広範な人民大衆の意思によって政策を立て、人民大衆の利益に即してそれを貫徹し、人民大衆に真の自由と権利、幸福な生活を実質的に保証することが民主主義である。世界にこのような真の民主主義はただ一つ社会主義的民主主義である。 国家の全ての権力が少数資本家の手中に掌握され、個人主義に基づいている資本主義社会においては決して民主主義はありえない。 資本主義社会においては人民大衆が政権の主人にはなれず、自主的な政治生活から除外され、国家のすべての権力が少数資本家の手に握られている。ここに資本主義社会に真の民主主義があり得ない主たる根拠の一つがある。 資本主義社会に真の民主主義があり得ない根拠はまた、極端な個人主義に基づいている資本主義社会制度自体の本質にある。 帝国主義者が騒ぐ「民主主義」はエセ民主主義であり、人民大衆をだまし、ブルジョア独裁の反動性と資本主義制度の反人民的本質を隠すためのカムフラージュにすぎない。 資本主義社会において「民主主義」、ブルジョア民主主義は資本家階級、少数特権階級だけに自由と権利を保障し、広範な人民大衆には無権利と不平等だけをもたらす。したがって、それは真の民主主義ではない。 ブルジョア民主主義の虚偽性と反動性は何よりも、米国の社会政治生活によく表れている。こんにち、米国には食べ物を求めてさ迷う青少年、ホームレス、失業者が無数にいる。 米国の支配層が「民主主義の徹底した具現」を騒々しく宣伝する米国において「言論の自由」「出版の自由」もブルジョア民主主義、エセ民主主義に過ぎない。 米国支配層が「民主主義のモデル」であると宣伝する米国における「自由な選挙競争」も、ブルジョア民主主義の真の面ぼうをよく見せている。 外見上はすべての人に平等な機会、同じ自由と権利を与えるかのようにつくりあげ、実際には少数特権階層だけがそれを享有し、行使できるところにブルジョア民主主義の反動的特徴の一つがある。(労働新聞11月19日付) [朝鮮新報 2006.11.30] |