〈朝鮮と日本の詩人-1-〉 連載にあたって |
日本の近、現代詩人において、朝鮮についての作品を残した人の数はそれほど多くはない。 しかし、日本帝国主義による朝鮮の植民地支配は、朝鮮に住んだことのある詩人を含めて、少なからずの詩人にさまざまな影響を及ぼした。そして、それは必然的に詩作の題材となった。 彼らのうち何人かは宗主国の詩人として、それぞれの思いから朝鮮に旅して、おもに自然や風物、習慣、時には社会的現象を主題にして詩を書いた。 さらに、出稼ぎや強制連行でやむなく渡日してきた朝鮮人を身近に見て、その姿や生活を詩のリズムで形象化した。そうした作品は、一般的な傾向として、植民地的現実を抒情で批判するか、朝鮮人への同情心の吐露というようなものであった。 そして、8.15祖国解放以後は、解放の現実、朝鮮戦争、分断の不条理を主題とする作品がみられるようになった。 朝鮮に関する詩のうちで、とくに注目しなければならないのは、1920年代中期から30年代の初頭にかけてプロレタリア文学運動の隆盛期に発表された作品群である。 中野重治、小熊秀雄、郡山弘史、槙村浩をはじめプロレタリア詩人と呼ばれる人たちの作品は、当然のことながら、インターナショナルの立場から、植民地現実を拒否し朝鮮人民への同志的連帯の精神につらぬかれていて、感銘深い。 在日2世や3世、4世にとって、日本の詩人の作品を読むことによって朝鮮を知ることと、日本人の朝鮮観を理解することは、それはそれで、意味のない営みではないものと考える。 本稿はできるだけ軽い読物となるよう心がけた。紙数の関係で詩の全文が引用できない場合もあるが、末尾に詩集を紹介して読者の便に供した。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2006.1.13] |