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〈人物で見る朝鮮科学史−1〉 悠久な歴史と輝かしい文化

高麗青磁

 科学というと西洋のものと思う人は多い。確かに、「近代科学」と呼ばれるものはそうだが、それ以前にはむしろ東洋に優れた科学の伝統があった。中国の四大発明といわれる火薬、羅針盤、紙、印刷術が、その後の人類の歴史に与えた影響は計り知れないだろう。悠久な歴史と輝かしい文化を誇る朝鮮も数多くの優れた科学技術分野の業績を残しているが、それらを総じて「朝鮮科学史」と呼ぶ。当たり前のことではと思う人がいるかもしれないが、けっして自明なことではなく、たとえば「アメリカ科学史」という呼称は現代を除いては成立しないのである。

 高句麗壁画古墳墓に描かれた天文図、現存する世界最古の天文台といわれる瞻星台、世界最初の金属活字と雨量計「測雨器」、表音文字「訓民正音」(ハングル)、医学書「東医宝鑑」、高麗青磁、李朝白磁―すぐにもいくつかの事例が思い浮かぶが、はるか古朝鮮の時代から朝鮮半島に生きた人たちは、自然との戦いのなかで自分たちの生活を豊かにする技術を磨き科学知識を蓄積し、結果、そのような優れた業績を残したのである。「文明とは知識であり、文化とは知恵である」とある人は言ったらしいが、まさに科学技術こそ知恵としての文化の真髄といえるだろう。それらはいったいどのようなものであり、先人たちはどのような努力のすえにそこに到達したのか、そして現代に生きる者にとってどのような意味を持つのか、興味は尽きない。

世界最初の測雨器

 朝鮮科学史の研究は、1944年に日本の三省堂から出版された洪以燮「朝鮮科学史」に始まる。三省堂といえば辞書で有名であるが、それを含めて植民地時代にこのような書籍が出版されていたというのは意外な気がしないでもない。朝鮮史の研究はほとんどの分野が植民地期に日本人学者によって始まっており、科学史だけは朝鮮人の手による唯一の分野である。それはそのまま科学史の特質を示す。

 今日では南北朝鮮で優れた書籍が数多く出版されているが、残念ながら日本で一般の人がそれらを手にする機会はほとんどない。実際、ニュートンやアインシュタインという名前は現代人なら一度は耳にするが、朝鮮の科学者、技術者はどうだろうか。近年、テレビドラマが話題となった許浚は例外として、ほとんど知られていないのが実状ではないだろうか? そこで、本欄では人物を中心として朝鮮科学史を追ってみたい。ただ、度重なる戦火によって高麗以前の古書籍はほとんど残っておらず、さらに技術的所産は名もなき人たちの手によるものが多い。その場合は遺物を中心とした記述となるだろう。また、科学史一般の問題意識もできるだけ反映させたいと考えている。(任正爀、朝鮮大学校理工学部助教授)

[朝鮮新報 2006.1.14]