〈生涯現役〉 朝鮮新報や分会費の集金受け持つ−李命順さん |
李命順・女性同盟兵庫県東神戸支部顧問は今年も健やかに新春を迎えた。足腰が弱っているとはいえ、週1回、友人たちと連れ立って、自宅のほど近いところにある魔耶山までの1時間ほどの散歩を欠かさない。 「30代の頃は、朝4時に起床して、毎日登っていた。これをやらないと、何だか体がなまってしまう。もうかれこれ50年近くこの日課を続けてきた」とほほ笑む。 13歳で働きに
李さんが生まれたのは、朝鮮全土で民衆が立ち上がった1919年の3.1独立運動の翌20年。父は慶尚南道泗川郡の富農だった。しかし、当時すでに日帝の土地調査事業により農村の疲弊は極度に達し、没落した朝鮮農民は、農村を離れ、都市部や日本へと大量に流浪が始まっていた。 李さんは、上4人の兄の後に生まれた待望の娘。後に妹と弟が一人ずつ生まれ、家族は9人となった。貧しい暮らしの中で、それでも兄たちは書堂(寺小屋)に入れてもらえたが、李さん姉妹には学ぶ機会は与えられなかった。10歳のときに、家は完全に没落。父母とともに釜山に移住した。しかし、2年後に父が病死。兄たち4人は他家の下男となって食い扶持を求めたが、暮らしが立たず兵庫県・高砂の「ぼろ工場」に職を得て、日本へと向かった。 釜山に残された母と李さんら幼い姉弟の暮らしはますます困窮を極めた。13歳の李さんは、日銭を稼ぐため釜山の中央魚卸売市場で働く日本人家庭の子守りとして雇われた。「頭にタオルを巻いて、テレビの『おしん』のような格好で仕事をした。『清潔にしなさい』といわれ、毎日風呂代2銭をもらった。銭湯に行ったふりをして、水道で身体を拭き、そのお金をオッコルムに包んで、オモニにあげた」。そうして稼いだお金が月30銭ほどになった。年端もいかない少女は、「なぜ、釜山にこんなに日本人が多いのか」「なぜ、朝鮮人だけが貧しいのか」と歯ぎしりするしかなかったという。父を失った李さんにとって、長兄の言葉は父のそれと同じ重みを持つ。やがて、長兄から「許婚を見つけたから、すぐ神戸に来るように」と命じられ、渡日。37年の夏、17歳だった。 翌年、38年2月に結婚した。夫の李寿天さんは22歳。ソウル出身の心優しい青年だった。「生涯一度も大声をあげたことのない人だった」。結婚式の日まで、一度も会ったことがなかったが、今風にいえば「大当たり」とでも言おうか。李さんは「これも縁だから」と照れた。以降、仲むつまじい夫婦は、3男2女に恵まれる。 成人学校で学び
夫は日本の学校を卒業し、神戸の「三菱造船」で電気技師として働いていた。義父母と同居し、平穏な暮らしだったが、解放の年に姑が49歳の若さで病死。その年に義妹も母を追うようにチフスで急死した。残された舅もあまりの悲しみで、闇市で手に入れた焼酎を飲み、失明。やがて半身不随になり長い病床生活を経て、63歳で死去した。その間、家族の介護とまだ幼いわが子5人の育児の世話に明け暮れた。 一方、夫も独立して、電気店を始めた。小さな店には、妻の手伝いが不可欠。夫婦は何でも相談して、力をあわせて、戦後の混乱期を乗り切った。しかし、舅を看取ってしばらくした時、李さんはあることに気づき呆然としたという。 「17歳まで朝鮮で暮らしたのに、朝鮮語をまるっきり忘れていた」ことに。神戸に来て約20年、同胞と触れ合わずに暮らしたので、「頭の中からウリマルが消えてしまっていた」という。そんな頃に、ある総連の同胞と出会い、成人学校に誘われた。店が閉店した夜8時過ぎから、総連の運営する分会の成人学校に通い始めた。最初は初級班から、上達すると上級班へ。東神戸支部の元町分会、旭分会、吾妻分会、三ノ宮分会のすべての成人学校で約2年間、ウリマルと死に物狂いで格闘したと李さんは懐かしそうに振り返った。
「徹夜して白々と朝日が昇るまでが勉強時間。私の人生において宝石のように貴重な日々だった。金日成主席の抗日革命闘争史や、朝鮮戦争時、一つしかない祖国のために二つとない命を捧げた李寿福英雄の話。この学習体験があったからこそ、祖国と組織のために、尽くすことがいかに大切かを知ることができた」と李さん。その後、60年代に女性同盟東神戸支部副委員長に就任、後に17年間委員長として活動した。長男は帰国して社会主義建設に貢献、次男は朝青活動、三男は民族学校に従事した。そして、李さんは持ちビルの一室を三ノ宮分会として提供し、その後ビルの立退き料1500万円を阪神大震災で被災した朝鮮学校に惜しげもなく寄付した。 「7人の孫がウリ学校で学び、息子も24年間、教員としてお世話になった。ほんの少しだが、祖国に恩返しができたかと思うと、心が安らぐ」 86歳の今も、分会の会費や朝鮮新報の集金で地域をまわる。時代が変わっても、組織を何より大切に思うその揺るぎない姿が、同胞たちの心を熱くしてやまない。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2006.1.15] |