top_rogo.gif (16396 bytes)

〈朝鮮と日本の詩人-2-〉 石川啄木

 明治の前半期に、もっとも鋭い政治的、思想的詩(短歌)や評論を書いたのは石川啄木であった。彼はとくに、幸徳秋水らの大逆事件(1909年)に影響されて社会主義を信じるようになった。したがって、啄木が1910年のいわゆる「韓日合併」を批判したのは必然的であった。

 地図の上/朝鮮国にくろぐろと/墨をぬりつつ秋風を聴く

 右の三行詩(啄木は短歌を三行詩として書いた)は、「九月の夜の不平」と題した34首のうちの1首で、若山牧水の主宰する詩歌総合誌「創作」に発表されて、かなりの人々に読まれた。書かれたのは、日本国中が万歳にわいていた「韓日合併」の日からわずか13日後の9月9日であり、その意味からすれば一種の時局詩である。「秋風」は「凋落、悲愁」の暗喩であり、「くろぐろ、墨」は「滅亡」のそれである。この詩を深く味わえば、啄木の明治国家権力に対する批判精神と朝鮮への同情心を感得することができるであろう。

 啄木には、10年10月13日に書かれながらも発表されなかった、つぎのような作品もある。

 雄々しくも/死を恐れざる人のこと/巷にあしき噂する日よ

 「死を恐れざる人」とは、09年10月26日に伊藤博文を射殺した安重根烈士のことである。詩人は、明治の元勲を暗殺したとして巷で極悪人とののしられている烈士を、死を覚悟して「雄々しくも」殉国した憂国の義士として深く敬愛し、その義挙に共感を示している。これは「友も、妻も、かなしと思ふらし−/病みても猶/革命のこと口に絶たねば」と詠んだ啄木の、朝・日両人民の国際的な連帯感を示したものであるといえる。

 中野重治は啄木について「俊敏にして純正を愛したこの優れたわれわれの詩人を虐殺したものは誰であるか」と問いかけて、それが天皇制の国家権力であることを示唆している。紹介した朝鮮に関する2首の短歌は、筑摩書房版「石川啄木全集」第1巻に収められていて、岩波、新潮の両文庫版にはのっていない。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2006.1.27]