「松井やより 全仕事」展 東京、4月23日まで |
来年に向けた渾身のメッセージ
ジャーナリスト・松井やよりさんの遺志を継ぎ、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた日本初の資料館・アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(東京、西早稲田)で、昨年12月から「松井やより 全仕事」展が開かれている。 主な展示内容は「女性の視点で書く―買春観光・女性差別撤廃条約、韓国の民主化運動、日本の戦争責任と『慰安婦』問題、アジアと日本―環境破壊、市民と援助、開発と女性、移住労働と人身売買、公害、食品汚染、貧困」など多岐にわたる。 朝日新聞記者としての仕事のかたわら、市民運動にも積極的に参加、女性運動家としていくつものNGOを立ち上げ、2000年には「女性国際戦犯法廷」(女性法廷)を提唱し、実現させた松井さん。68年の生涯を全力疾走した同氏は、多くの人が語っているように、類まれな才能とエネルギー、情熱を傾注し、踏み躙られてきた弱者の側に立ち、闘ってきた。
「それは小さなベタ記事からはじまった」と本人が振り返った買春観光反対キャンペーン記事、日本政府を動かした「女性差別撤廃条約」の1面トップ記事、「私の命をささげた」と言うほど、力を尽くした「女性法廷」への取り組みまで、多彩な歩みをこの展示によって知ることができる。これは未来を生きる人々への渾身のメッセージである。 共に「女性法廷」実現のために力を尽くした尹貞玉・梨花女子大学元教授は、同展に次のようなメッセージを寄せている。 「私が初めて松井さんに会ったのは、1988年でした。松井さんが盧寿福さんの記事を書かれたことを知り、連絡を取って話を聞いたのです。初めて渋谷で会った時の、松井さんははつらつとした女性でした。松井さんのおかげで私はすぐタイに飛んで行き、盧寿福ハルモニに会うことができました。それから10年後、私たちは女性国際戦犯法廷で被害を受けた女性たちのために力を尽くしました。あの日々は、昨日のことのようです。今も私は、松井さんが亡くなったとは思っていません。彼女は私たちと共に生きているのですから」 一方、女たちの戦争と平和人権基金は、昨年末、第1回「松井やより賞」をネパールのフォト・ジャーナリスト、ウシャ・ティティクシュさんに贈った。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2006.1.29] |