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〈人物で見る朝鮮科学史−2〉 檀君とその時代(上)

ヨモギとニンニクの薬効

檀君の肖像

 朝鮮民族は約5000年の歴史を持つといわれているが、その始まりは檀君の時代、すなわち古朝鮮である。1993年平壌市江東郡の檀君陵から発掘された人骨が、約5000年前のものと鑑定され、それが古朝鮮の始祖・檀君ではないかといわれている。それによって、神話の主人公が実在の歴史的人物となったのである。もっとも神話や伝承が何らかの歴史的事実を反映していることを想起するとき、檀君に近い人物はやはり存在したのであろう。檀紀という年号もあり、それによると今年は4339年である(西暦に2333年を加える)。

 「檀君神話」が初めて文字資料に表れるのは僧・一然(1206〜1289年)の「三国遺事」で、内容は次のようなものである。

 天帝恒因の息子である恒雄は美しい朝鮮半島に憧れ、そこに新しい国を建てるため風や雨、雲を司る者たちを率いて下ってくる。その時、同じ洞窟に住む虎と熊がいて、両者は人間になりたいと願う。そこで、恒雄はヨモギとニンニクを与え、100日間暗い洞窟での修行を課す。虎は途中であきらめるが、最後までやり遂げた熊は美しい女性になる。恒雄はその女性を妃とし、生まれた子どもが檀君で、その名は恒雄が降り立った場所が神檀樹の下であったことから名づけられた。

発掘された当時の檀君陵

 その後の檀君のことや、なぜ熊と虎なのかということはさておき、ここで注目したいのはヨモギとニンニクを食して熊が人間の女性に生まれ変わるという点である。周知のようにヨモギもニンニクも薬効があり、この神話は医学の始まりともとれる内容となっているからである。ニンニクについてはあらためて述べるまでもないだろうが、現在、米国国立ガン研究所が中心となって行っているデザイナーフーズ・プログラムでも、ガン予防の可能性がある食品の頂点に位置するのがニンニクである。ヨモギも解毒、解熱作用があり、また乾燥させた艾(もぐさ)は灸に用いられる。それらは中国では6世紀までは薬剤として用いられておらず、檀君神話からは朝鮮独自の医学の発展がうかがわれ、それが後世の「東医学」へと発展したともいえるだろう。

 1613年に刊行された許浚の「東医宝鑑」には、「ニンニクは畑に植えるが、秋に植え冬を越すのがよい。5月5日に掘り出す。ニンニクは邪気を払い、体を強くする」と書かれている。西洋でも吸血鬼ドラキュラが嫌うものがニンニクであるが、邪気を払うという点においては東西で一致しているようである。

 朝鮮人のパワーの源といえるニンニクであるが、ほんの数十年前まで日本では「ニンニク臭い」というのは朝鮮人への差別用語であった。それが、今ではおいしく栄養価が高い食品として普及しているのだから隔世の感がある。ただし、残念ながらこれは例外のようである。(任正爀、朝鮮大学校理工学部助教授、科協中央研究部長)

[朝鮮新報 2006.2.4]