〈人物で見る朝鮮科学史−3〉 檀君とその時代(中) |
夜空に輝く星を眺めながら、あの向こうには何があるのだろうか、あの星にも人は住んでいるのだろうか、という想像を誰もが一度はしたことがあるに違いない。もっとも、これは宇宙に対してある程度の知識を持った現代人の場合であり、常に自然の脅威にさらされていた古代人は、夜空の星に人間の運命を司る物語を思い描いた。それが神話となり占星術へと進んでいった。日常会話の「星のめぐり合わせ」「悪い星のもとに生まれた」という表現は、その名残である。さらに、占星術は説得力を持たせるために緻密な天体観測を行うようになるが、それが天文学の発展へとつながっていった。ゆえに、天文学は医学とともに、もっとも古い起源を持つ科学分野といえるだろう。 前回、「檀君神話」に見られる医学の萌芽について述べたが、天文学は神話のレベルではなく、はっきりとした痕跡が残っている。それは、古朝鮮の遺跡である支石墓に描かれた天文図である。支石墓は四方の壁を石で組み大きな蓋石を置いたものであるが、なかにはその蓋石に星を表した穴を彫り、北斗七星やカシオペアなどの星座を描いたものがある。支石墓は、とくに古朝鮮の首都であった平壌付近に多く存在するが、天文図が描かれた支石墓は200基にものぼる。
穴の直径は1〜1.8センチで、たくさんの星が描かれた場合、その穴の大きさは4〜6の部類に分かれており、星を明るさによって分けたものと考えられている。星を明るさによる等級に分けたのは紀元前2世紀頃のギリシャの天文学者ヒッパルコスで、肉眼で見えるもっと明るい星ともっとも暗い星の間を5等分して1等星から6等星に分けた。そのはるか以前に古朝鮮の人たちには同様の発想があったのである。 さらに興味深いことは、普通天文図は北極星(こぐま座α星)を中心として描くのであるが、それとは異なっており、例えばりゅう座α星を中心としたものがある。これは、いったい何を意味するのだろうか。北極星は地球の自転軸の真上に位置する星であるが、実はそれは常に同じ星ではなく時代とともに変わるのである。回転しているコマが傾くと元の垂直軸の周囲を回るようになる。歳差運動と呼ばれるが、地球も歳差運動を行っているので自転軸が時間とともに方向を変え、結果、北極星も変わるというわけである。そして、約5000年前の北極星こそ、りゅう座α星だったのである。ちなみに、α星はその星座で一番明るい星のことである。この事実から支石墓の年代が判明するが、同時に古朝鮮時代の天文学が客観的事実を正確に反映する高い水準にあったことを知ることができる。 古朝鮮の天文学は、その後、高句麗に受け継がれ、それが壁画古墳の天文図、さらには「天象列次分野之図」の基となった石刻天文図へと発展していく。(任正爀、朝鮮大学校理工学部助教授、科協中央研究部長) [朝鮮新報 2006.2.19] |