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〈朝鮮と日本の詩人-4-〉 室生犀星

 白い高麗の香合が一つと/その他には何も置いてない/いまは立春に近いときで/のどかな光は障子のそとに流れている/その障子の外に/金網の長い鳥籠がかかり/閑寂な小鳥が止まり木をたたいている

 いにしえの高麗人は寂しい/灰色めいた光沢をみせたそのような香合をおりおりは形作って/自ら心を遠きにやって眺めていたらしい/まるで蛤のようにのどかに生き/春の空気にしまった形を動かしている/そこに名も知れない一人の高麗人が/いつもしゃがんで心しずかに眺めているようにも思われる

 この高麗は梅花一点の内に沈んで/わたり一寸くらいであるのに/机の上いっぱいに形をひろげている/古い高麗人の威厳は丁々と胸を打ってくるのだ

 右の詩は室生犀星の詩文集「高麗の花」(1924年)に収められた同名の詩の全部である。犀星愛藏の、香料を入れる高麗白磁を詩材にした秀麗な叙情詩である。立春を間近にしたのどかな日の静寂に包まれて、気品にみちた白い焼物一点に、作者は魂を吸いこまれている。この詩には、その昔日本に文化を伝えた朝鮮への敬愛の情があふれており、それは最終行21文字で示唆されている。

 犀星は「陶器について」という随筆で「陶器は好きであるが、まだ初歩でどれだけも分かっていない」としながらも「朝鮮のものなら大がい掘出しものに好きになれるものがある」と書いている。また、小品「李朝夫人」は、軽井沢の「中佐」という美術店でみた白磁を入手するまでの、店主との交流が語られている。

 犀星は新聞社からの委託で、1937年に中国東北地方を巡ったことがあって、その帰途に朝鮮に立ち寄っている。その折のことを「この朝鮮では石仏か石灯籠かを船に乗せてもってかえるのが私の目的でありおみやげであった」と記している犀星が朝鮮の遺物に深くひかれていたことがわかるであろう。

 ほかにも、犀星には「わが汽車は朝鮮に入り」という一行で始まる「朝鮮」や「朝鮮の瓦だという一頭の鯱を求め」が初行の「瓦の鯱」など2編の作品がある。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2006.2.24]