在日女性美術展「パラムピッ2006」 華やかに開催、6回目 380人が鑑賞 |
在日女性美術家による「パラムピッ2006」が、東京都品川区大崎にあるO美術館で18日から22日まで開催され、380人が訪れた。
今年で6回目を数える同美術展には、東京近郊に住む同胞女性22人が出品し、朝鮮画や油彩、アクリル画、陶器など65点が展示された。 「パラムピッ」とは風と光の意。ここには美術を志す女性たちを創作へと駆り立てる一陣の風をおこし、温かい光で励まそうとする意味が込められている。第1回目は94年2月に開かれた。 初日はオープニングパーティーも開かれ、出品者たちの家族、友人、多くの美術愛好家たちが3年ぶりの同展の開催を祝った。
作家らの年齢は20代から70代までの各層に広がる。ほとんどが職業を持ちながら、絵に打ち込んできた。全体の半数は既婚者で、中にはまだ幼い子どもを抱えて、子育て真っ只中のオモニもいる。メンバーらの中には、これまで、仕事と生活のペースがつかめずに、作品の完成が遅れたり、創作活動そのものから長い間遠ざかっていた人もいた。そんな中での3年ぶりの開催に、「絵に対する潜在的な意欲がわき、創作への欲求にかられた」とメンバーらは口々に語っていた。
また、会長の尹光子さんも「持続は力なり、の言葉通り、仕事や家庭、子育てに追われる多忙な中でも、たくさんの女性たちが絵を描き、展覧会に出品した。女性たちの胸の中は、絵を通していつも社会に向けて何かを発信したいという渇望がある。単なる趣味的な展覧会ではなく、観る人に語りかけ、感じてもらえるものになってくれればありがたい」と語っていた。 会場では、自作の前で、作家が説明する場面もあった。 東京朝鮮第5初中級学校の金聖蘭・美術教員は水彩画「私は4世−ザ・イ・ニ・チ」を出品した。チョゴリ姿の女の子が民族楽器(チョッテ)を吹く姿と、鋭い刃物でそでを切り裂かれたブレザー姿の女の子の絵。胸元には02年の拉致報道の新聞がコラージュされている。金さんは自作について、「あれ以来、悪質な嫌がらせが続き、ウリハッキョで学ぶ『自己』に対してマイナスイメージを抱いてしまった子どもたちもいる。思春期に深く傷ついた子どもと、その過酷な現実に向き合い、民族のアイデンティティを確立して、生きようとする子どもの力強さを対比したかった」と述べた。
金さんはこの数年の活動の中で、日本のNGOが主催する「南北コリアと日本の友だち展」に積極的に関わり、平壌、ソウルでの子ども絵画展にも足を運んだ。今回の出品作は、民族教育における美術の果す役割、また、それらを通じて、東アジアの平和に貢献したいという問題意識を鋭く浮き彫りにした。 また、女性同盟葛飾支部の総務部長(非専従)として献身的に同胞社会を支え続けている金蓉子さんの油彩「朝」も観客の目を引いた。初級部に通う2人の子どもの登校風景を描いた60号の大作で、約1カ月かかったという。「日本では、幼い子どもたちの残虐な事件が相次いでいる。朝出かけたあと、どうか無事に帰宅してほしいというすべての親の祈りに似た気持ちを込めた」と話す。
多忙な中でも、「パランピッ」を支え、この間の結婚、出産、子育て、職場の異動というめまぐるしい変化の中で、絵筆を握り続けた。会場からは「オモニならではの温かさが、胸に染み入るようだ。子どもの後ろ姿を見つめる母の優しい視線が感じられて胸がいっぱいになった」という声が上がった。 西東京からとっくりを出品した陶芸家の全京愛さん。全さんの夫は2月の半ばに大きな手術を受け、自らも還暦を迎えたばかり。「手術を前に何も手がつかない私に夫は『何しているんだ、早く制作にとりかかりなさい』と反対に励ましてくれた。夫が回復したら、2人で快気祝いをしようと思って、マッコルリを飲むとっくりを作った」とユーモラスに語ると会場からは温かい拍手が送られた。
また、岡山からは、岡山初中級学校の河和恵・美術教員がアクリル画「慈悲」を出品。ほほ笑む弥勒菩薩を描いた動機を、「悩んだり、苦しむ夫の姿を見るにつけ、その姿は自分の姿でもあることに思い至った。悩みや煩悩の中にこそ慈悲が宿ることに気づかされ、絵筆を執った」と語った。 女性美術家たちは「今後も研鑽を積んで、お互いに刺激しあいながら、よりレベルの高い美術展にしていこう」と約束しあっていた。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2006.2.25] |