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〈本の紹介〉 「痛憤の現場を歩く」

 強権の横暴。不平等社会、そして、戦争への足音。「人間排除の時代」に抗う人々の魂の尊厳を記録したルポルタージュ。

 本書は03年10月から05年7月まで、「週刊金曜日」に隔週連載した「痛憤の現場を歩く」38回分を、掲載順にまとめたもの。

 ここに登場するのは、労働者の人権を踏み躙る悪どい経営者、石原東京都知事のもと、ますます強権的になる東京都教育委員会、あいかわらずの警察とデタラメ裁判官の怯懦、さらには批判に耳をかさない原発会社や米軍基地をまだ沖縄に建設しようとする日本政府、これらの横暴にたいして抵抗しつづけているひとたちであり、その痛憤であろう。

 著者は日本を代表するルポライターとして、精力的に仕事を続けてきた。高炉の火が消えた製鉄所で、閉山に追い込まれた炭鉱町で、管理の進む学校で、そして、原発地帯で−。「現場」を探訪しながら、厳しい状況の中で生き抜く人々の姿を記録してきた。

 たった一人で巨大な相手とたたかいつづけているひとたちがいる、という事実は書き伝えなければいけない、というのが著者の書くことの原点である。そうして生まれたのが、本書であり、「自動車絶望工場」「日本の兵器工場」などの名著である。

 今、時代は急速に暗転しつつある。国会は「体制翼賛会」に転落し、政府、マスコミがこぞって「改革」を絶賛している。彼らが口にする「改革」とは、民間大企業を有利にする「民益」のことである。国鉄改革、郵政改革、税制改革、年金改革など、政府のいう「改革」は、すべて庶民の生活を零落させる「改悪」でしかない、というのが、著者の基本的な立場だ。

「金持ちはさらに金持ちになり、貧乏人がさらに貧乏人になるための毒薬が、いかにも万人を幸福にするための『改革』の意匠で装われている」との鋭い指摘が胸に迫る。

 社会の底辺であえぐ人々の呼吸を聞きながら、闇を凝視しつづける。鎌田ルポルタージュの核心は、その闇との壮絶な闘いである。

 本書は歴史に逆行する時代への「異議申し立て」であり、たたかう人々にとつての希望の灯火であろう。〈(株)金曜日〉、(TEL 03・3221・8521、鎌田慧著)(粉)

[朝鮮新報 2006.3.6]