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「一九〇五年 韓国保護条約と植民地支配責任−歴史学と国際法学との対話」を出版して 世界史的にも稀な在日朝鮮人の経験

 昨年11月に私は拙著(「一九〇五年韓国保護条約と植民地支配責任−歴史学と国際法学との対話」創史社)を出版したが、そこに込められた筆者の「思い」のようなことを書いてくれないかと本紙編集部から依頼があった。一瞬ためらったが、出版後、さまざまなところから拙著に対する反響があったため、この機会にそれをめぐっての筆者の考えを述べることで編集部の好意に応えたい。

 これまで書評や合評会などで拙著が取り上げられ、そこでは、@一九〇五年条約が不法とした場合、その後の諸法令も無効とすることが可能か、A筆者の帝国主義批判が「政策」論へと転倒しているのではないか、などの疑問点が示された。

 @は日本の朝鮮支配の歴史的地位に関する問題である。筆者は、旧条約「不当、不法論」の立場に立っているが、他の不法論者が言う、「日本の朝鮮支配は植民地化ではなく、合法的根拠のない強占(軍事占領)である」という論とは考えを異にする。軍事占領と植民地支配を分けるこの考えでは、結果的には前者は不法、後者は合法となってしまう。朝鮮の場合、日本の東南アジアに対する軍事占領とは異なり、軍事占領と植民地支配を分けることができない。つまり、不法な軍事占領により植民地支配が行われたためすべて無効であるということである。しかし、植民地下での私法上の問題、たとえば婚姻や契約など生活上のことがらまでも無効とすることはできない。なぜならば国際法上の無効と私法上の無効は分別されるためであり、その意味で植民地支配は実態として機能していたのである。

 Aは帝国主義時代に対する認識の問題である。「帝国主義はやはり政策であった」とする和田春樹氏の文章を引用したため、筆者も同じ認識であると見られているようだが、もちろん筆者はそのような認識に立っていない。筆者が言わんとするところは、これまでの「構造決定論」的な帝国主義論は、帝国主義時代を帝国主義か、植民地か、とする二者択一的な認識に「科学性」を付与する役割を果たしてきたのではないか、帝国主義時代であっても侵略、被侵略とは異なる別の道の探求もあったという問題を歴史学は想定しなければならない、ということである。これらは、いずれも大きな問題であり、詳細については後日の課題としたい。

 拙著の出版後、大学の同僚や学生、筆者が居住する総聯分会、支部の同胞から激励やお祝いの言葉をいただいた。わがことのように喜んでくれる彼、彼女らの顔を見るにつけ、筆者は在日朝鮮人の歴史についてあらためて考えざるをえなかった。

 朝鮮半島は100年に及ぶ植民地支配と冷戦、分断状況におかれてきたが、なかでも在日朝鮮人は、解放後も、日本という旧宗主国に取り残され、祖国の分断と日本社会の民族差別によって、二重三重にも引き裂かれた現状にある。このような在日朝鮮人の経験は、個別特殊的な経験であるどころか、20世紀人類の抱える矛盾と葛藤の集約とも言うべきものである。

昨年開かれた「乙巳5条約」強制100年記念シンポのもよう

 在日朝鮮人が存在する意味が何であるのか、という問いに答えるならば、筆者は在日朝鮮人の世界史的にも稀な経験が、朝鮮半島にとどまらず、世界の難問題解決への手掛かりになるだろうと、ためらわずに言うことができる。在日朝鮮人社会の世代交代が進み、歴史的な記憶が「喪失」しつつあると言われて久しいが、脱植民地主義、脱冷戦が核心的な問題として残っているかぎり、過酷な「支配」「抑圧」に抗い、人間的な解放をめざした在日同胞の歴史的記憶はそう簡単に消えるものではない。なぜならば、在日同胞の歴史的記憶こそがわたしたちの朝鮮人たるゆえんを自覚させるばかりか、人類の解放にもつながる普遍的な方法の一部でもあるからだ。

 朝鮮大学校は今年、創立50周年を迎える。在日朝鮮人個々の生が刻印された朝鮮大学校は、全朝鮮民族の財産であるばかりか、世界的にも稀な大学である。拙著の出版を喜んでくれる同胞の姿は、筆者が勤務する朝鮮大学校に対する期待のあらわれであろう。自著の出版後、このようなことを考え、朝鮮大学校のさらなる発展のために、よりいっそう努力していくべく心を新たにしている。(創史社刊、TEL 03・3253・7556)(康成銀、朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2006.3.8]