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〈朝鮮と日本の詩人-5-〉 高村光太郎

 峯から峯へボウが響いて 大穴の飯場はもう空だ。 山と山とが迫れば谷になる。

 谷のつきあたりはいつでも厖大な分水嶺の容積だ。 トンネルはまだ開かない。

 二千人の朝鮮人は何処にいる。

 土合、湯桧曽のかまぼこ小屋に雨がふる。

 角膜炎の宿屋の娘はよく笑う。

 湯けむりに巻かれて立つおれの裸の

 川風涼しい右半身に鶯、左にリベット。

 軽便鉄道、鉄骨、セメント、支那めし。

 三角山に赤い旗。

 ―ハッパが鳴るぞ、馬あ止めろよ−

 又買い出されて来た一団の人夫。

 おれの朴歯が縦に割れて、

 二千の躯の上に十里の山道がまっ青だ。

 高村光太郎は彫刻家でもあり、「道程」「智恵子抄」「典型」などの詩集で知られ、日本語に強い生命を吹きこんだ詩人として、日本近代詩に大きな足跡を残した。

 全文を紹介した右の詩「上州湯桧曽風景」は、湯治で群馬県の水上の湯桧曽温泉に滞在した詩人が、清水トンネルの難工事に狩り出された朝鮮人労働者「二千人」の運命に同情のまなこを注いだ詩である。

 「大穴、土合、湯桧曽」はトンネルに沿った地名である。

 「かまぼこ小屋」とは、いうまでもなく獄舎同然のタコ部屋をさしている。

 「おれの朴歯が縦に割れて、2000の躯の上に十里の山道がまっ青だ」という最後の2行には、朝鮮人を非道に酷使することへの、詩人の正義感に根ざす怒りが、緊張したリズムでにじみでている。

 光太郎は、太平洋戦争中に戦争賛美の詩を書いて時局に迎合したが、敗戦後にそれを深く恥じて、岩手県の寒村にこもり連作詩「暗愚小伝」を書きつづけて自己を律した。

 この赤裸々な自己批判は、かつて朝鮮人に同情をよせたモチーフと一脈つうずるところがある。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2006.3.10]