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〈本の紹介〉 「東京大空襲・朝鮮人罹災の記録」

 1945年3月10日、米軍は325機のB29爆撃機を動員して約36万発の焼夷弾を東京・下町の密集地帯に投下した。東京大空襲である。非戦闘員の無差別殺戮を目的とし、わずか2時間半で10万人が殺されたホロコースト(大量虐殺)であった。同地域には多くの在日同胞も住んでいた。何もかも焼失したため犠牲者名は10万人中5000余人しかわかっていない。

 日本人の場合、死傷者など羅災状況は官庁統計や戦災史、それに各市民団体の調査によって明らかにされているが、当時9万7千余人が居住していたとされている在日同胞の場合、犠牲者の数はおろか、その罹災の実態すらいまだ闇に埋もれたままである。

 それはなぜか。身寄りのない人が多かったうえに、解放後、南に帰郷、北に帰国した人も多く、さらに60年の歳月が流れた今25人の罹災朝鮮人の証言はその意味で貴重なものといえよう。

 あの日から61年。惨禍を再び、繰り返さず、平和の重さを伝え続けようと、各地で10日を中心に戦争資料展や追悼の集いが開かれた。

 本書によると、数年前に韓国の市民団体が、東京大空襲による死亡が記述された「連行者名簿」を公表した。日本厚生省によるものである。これによると空襲当日、慶尚北道から連行された約120人が東京大空襲の犠牲となっている。身分には「軍属」とだけ記されていた。空爆による朝鮮人被害を記した公文書の公表は現在のところ、唯一これだけだ。

 空襲は東京に限られたものではなかった。米軍による無差別爆撃は、日本全土で行われただけに、朝・日による積極的な共同調査が、一日でも早く全国的規模で行われるよう求めたい。

 過去の植民地支配の責任を果すべき日本当局は、この問題についても軽視すべきではない。(東京大空襲、罹災を記録する会編、綜合企画社ウィル、TEL 050・3322・0688)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2006.3.13]