歴史家・網野善彦さんが基本構想 山梨県立博物館を訪ねて |
2年前、死去した歴史家・網野善彦さんを基本構想検討委員長に据えてオープンした山梨県立博物館をこのほど訪ねた。 網野さんは民衆の生活をもとにした社会史の視点から新たな日本史像を描き出し、著書「日本社会の歴史」(岩波新書=上、中、下巻)など多くの著書を持つ。百姓イコール農民ではない、7世紀以前には日本も日本人もこの列島に存在しなかった…「日本」の歴史の「常識」や「通念」を根底から問い直した網野さんの仕事は、「網野史学」として多方面に圧倒的な影響力を及ぼした。
網野史学とは、一言で言えば、「百姓=農民」ではない、ということだ。海民、山民、布を織る女性、職人、土地を持たない商人、悪党や博打、海賊など多種多様な人々を、歴史の主体として描きだした。 山梨県出身の網野さんの大きな影響で生まれた同博物館は、昨年10月に開館。従来の型にはまった、紋切り型の展示ではなく、活力に満ちた普通の人々がまるで、いま生きているようなジオラマ展示(ある光景を模型で再現したもの)を中心に、生き生きと歴史を再現、展示している。 とりわけ、山梨(甲斐)が、山国であることを考慮して、山国の生業やムラに居た多様な人々が行き来するもようをリアリティーのある模型で見せている。たとえば、江戸時代の猿曳き(猿回し)もそのひとつ。彼らは猿回しの芸を見せて、馬や牛の健康を祈ることを仕事としていた。 さらに同館の展示では、網野さんの歴史観の本領発揮ともいえる悪党やアウトローらを歴史の主体に据えて、ダイナミックな社会の変化を捉えようとする試みも随所に見られ、おもしろい。 「貧しい甲州は、ヤクザとアナーキストと商人しか生まない土地だと言われてきたけれども、そのおかげで、ほかのところでは消えてしまった原始、未開の精神性のおもかげが、生き残ることができたとも言えるなあ。貧しいということは、偉大なことでもあるのさ」(中沢新一著「僕の叔父さん網野善彦」より)との、網野さんの強い思いが込められたユニークな展示だ。 生前、網野さんは「ゆがんだ歴史観が侵略戦争を起こす」と繰り返し、警鐘を鳴らし続けた。「明治以降の政府が選択した道は、『日本』を頭から『単一』などと見るまったく誤った自己認識によって、日本人を破滅的な戦争に導き、アジアの人民に多大な犠牲を強いた、最悪に近い道であった」と。 網野さんは終生、アカデミズムという狭い世界を打ち破り、生身の人間の暮らしを根源的に探求し、思索し記録する歴史学の構築に猛烈なエネルギーと情熱を傾けた。その思いが詰まった博物館は一見に値する。(粉) [朝鮮新報 2006.3.22] |