〈人物で見る朝鮮科学史−7〉 古朝鮮から高句麗へ(番外編) |
科学史のおもしろさは、科学技術発展を成し遂げた人たちの創意工夫と、そこに秘められた人間ドラマにある。これは科学史研究それ自体にも当てはまるが、今回は番外編として、それと関連するエピソードを紹介したい。 現在、北南朝鮮を代表する研究者といえば、おそらく「韓国科学技術史」の著者である全相運先生と「朝鮮技術発展史」の責任執筆者である崔相俊先生である。1966年に出版され改訂を重ねる「韓国科学技術史」は、この分野の研究を促進させただけでなく、英語版、日本語版によって世界に朝鮮科学史を紹介するうえで大きな役割を果たした。また、去年、日本評論社から出版された「韓国科学史」は、「紙上博物館」として見ているだけでも楽しい本である(ただし、ちょっと高価)。一方、「朝鮮技術発展史」は1994年から96年にかけて全5巻で出版されたもので、15人の共同作業による技術史の集大成である。本欄の記事も両書を参考としていることはいうまでもない。
さて、古朝鮮の青銅が亜鉛を含む独特ものだったことはすでに紹介したが、それを最初に指摘したのは、66年に朝鮮の学術雑誌「考古民俗」に掲載された崔相俊先生の論文「わが国原始時代および古代の金属遺物の分析」である。古朝鮮の青銅の成分について述べる時、必ず引用される論文であるが、当時、南では北の雑誌を見ることはほとんど不可能に近かった。ところが、ハーバード大学エンジン研究所に滞在していた全相運先生は、偶然その論文を知り、自身の古代青銅器の解釈において大きな刺激を受けた。そして、その後も崔先生の研究を注視していたが、「朝鮮技術発展史」でその名前を見た時、旧知の友と再会したような懐かしさを覚えたという。 2002年釜山大で開催された韓国科学史学会で招待講演を行った際に、直接、本人から聞いた話であるが、最後に全先生はもし崔先生と会うことがあれば、自分のあいさつをぜひ伝えてほしいと依頼された。その後、そのような機会に恵まれることを願っていたのだが、2004年平壌で開催された第2回世界朝鮮学大会に参加した時に、それが実現した。崔先生には、「朝鮮技術発展史」の出版経緯などの話を伺ったあと、全先生の著書を謹呈し、その言葉を伝えた。しばらくその本を見ておられた先生は、「朝鮮技術発展史」の貴重な資料となったのにと独り言のようにいわれた。 今も、そのことが強く印象に残っているが、実際、北南の研究者が情報を交換し議論を深めることができれば、朝鮮科学史研究は大きく前進するに違いない。そして、そんな日が来るのもそう遠くはないだろう。(任正爀、朝鮮大学校理工学部助教授、科協中央研究部長) [朝鮮新報 2006.3.25] |