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〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち−8〉 社会主義女性闘士 鄭鐘鳴

 鄭鍾鳴は、民族の独立と女性解放のために最前線で闘った社会主義女性闘士である。

独立闘士の母

 彼女は、朝鮮に対する日本の侵略が日一日と迫って来ていた1896年、ソウルの貧しい家庭に生まれた。父は独立運動家で、彼女が10歳を過ぎた頃ロシアへ旅立ち、その後消息不明となる。11歳になってようやく培花女子学堂に入学するが、学費が続かず4年後には中退する。

 17歳で大韓病院の通訳官であった朴氏と結婚。息子、弘済を儲けるが夫が病死。19歳の若さで寡婦になる。

 子どもを連れて実家に戻った彼女は、一時伝道師の助手として活動するが、経済的自立のため看護婦になることを決心。1917年頃、セブランス病院の看護院養成所で学ぶ。在学中待遇改善を掲げストライキを主導、1919年には李甲成に頼まれ3.1運動関係書類を保管した容疑で逮捕された。

 このような彼女の社会的目覚めは、家庭環境、とくに母である朴貞善の影響が大きいと思われる。朴貞善は、3.1独立運動で独立万歳を先唱、捕らわれた際、世人を驚かせた大同団事件(秘密決死大同団が純宗の実弟、李堈を国外に亡命させ、擁立しようとして発覚した事件)にかかわったことが発覚し投獄された闘士であった。

「朝鮮女性同友会」

 社会と自分の身に吹き迫る激動の中で、25歳で正看護婦、1年後には助産婦の資格も取得、経済的に独立する。

 経済的自立を築いた彼女は、家庭に留まらない自由な身として、不合理な現実と闘うことに一身を捧げようと決心、社会運動に進出する。その第一歩として崔聖三などと「朝鮮女子苦学生相助会」(1922年4月)を結成、女性(解放)問題をテーマに全国巡回講演を積極的に展開、10余人であった会員数は4年後には300余人に達した。

 当時急速に拡大する社会主義潮流の中で、彼女の活動はより活発になっていく。1923年6月頃、彼女はコミンテルン(国際共産党)傘下の国内地下組織である「共産青年会」に唯一人の女性会員として加入。活動を通して共青責任秘書、辛鐵(本名:辛容箕)と知り合い同居。1924年4月には相助会の執行委員長に選ばれる。

 そして1924年5月10日には丁七星、禹鳳雲、許貞淑、金弼愛、崔聖三などと共に社会主義女性団体「朝鮮女性同友会」を結成した。またこの年の暮れには「北風会」にも加入、北風会館で同志たちとの共同生活に入った。そして助産婦として働く一方「北風会」の月刊誌「開放運動」の記者として活躍、史上初めて開催された朝鮮記者大会(1925年4月)にも参加した。

 病気の人には産婆で得たお金で薬を買ってやり、検挙された人のために差し入れする彼女を周囲の人たちは、社会運動家の「姉であり恋人であり、オモニ」と呼んだ。

苦難の中で

 彼女にとって25年の後半期はとても辛い時期であった。この年の夏、辛鐵が「北風会」拡大のため国内を離れた。そのうえ大量検挙の嵐が吹き多くの同志を失ったのである。

 それでも彼女はくじけなかった。1926年4月、彼女は「正友会」結成に参加、常務執行委員となり、全国各地を講演して回った。翌年彼女は新幹会(1927年2月)と連動して女性の団結と地位向上を目的とする槿友会創立(1927年5月27)を主導、1928年7月には中央執行委員長に選ばれる。

 彼女は、「第一線で闘った人も恋愛し結婚すれば影も形もなくなる」(朝鮮日報1928年12月19日)現状の中で、1000万女性を闘う主体としてまとめるため東奔西走した。

 1930年、文学を志していた一人息子の弘済がメーデーデモの主謀者として逮捕され少年監に収監される。彼女はその苦しみを振り切るかのように8月、呉祘世と連結、党再建運動に参加、1931年拘束される。警察の殺人的な拷問により呉祘世以外5人が死亡、転向する者も出たが、彼女は最後まで耐え抜いた。

 1935年7月26日、約4年ぶりに出所する日、花束を持った丁七星、禹鳳雲、許貞淑、朴ホジンが西大門刑務所の前で彼女を待っていた。祖国はすでに日本の中国大陸侵略戦争準備に追い立てられ、民族解放闘争に対する弾圧はいっそう悪らつになっていた。数えきれないほどの獄中生活を強いられながら民族の独立と女性の解放のため十余年を第一線で闘った彼女だが、解放の年の12月、朝鮮婦女総同盟結成大会に咸南代表として選ばれたということ以外その後のことはわからない。(呉香淑、朝鮮大学校文学歴史学部教授)

鄭鐘鳴(1896〜?)。

 培花女子学堂中退。1917年頃セブランス病院看護院養成所に入学し看護婦、助産婦の資格をとる。「朝鮮女子苦学生相助会」、「朝鮮女性同友会」を組織。槿友会に参加、後に委員長となる。朝鮮共産党再建委員会などに参加するなど社会運動を活発に展開。

[朝鮮新報 2006.4.3]