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「朝鮮名峰への旅」(19) 1000段余の梯子を下り1メートルの氷覆う天地へ

 4月の下旬から5月にかけて、白頭山の山麓では緑が次第に濃くなる。しかし、山の中はまだ寒く、雪が多く残っている。天池は氷が張りつめ、湖面の上を歩けるのはこの時期だけである。

 無頭峰宿舎を出発した車は、残雪のためにケーブル駅の手前で登ることができなくなった。ここから重い荷物を背負っての登畔となる。稜線に出ると、天池から吹き上げる風が切るように冷たい。

白頭山の春の天池(暁色)

 天池への下り口の梯子まで来ると、幸いなことに梯子の大部分は雪の外に出ていた。厳冬期には、すっぽり雪に覆われていたのである。天池への下りは、この急な1000段あまりも続く梯子なしには考えられない。カルデラ壁の上部は、見た目は垂直に近く、断崖絶壁である。この梯子だけが、天池に下る唯一の道である。その梯子を一段一段、慎重に下りきり、平坦な雪原に降り立った。これから10日間を過ごす山小屋は、ここから10分ほどの場所にある。

 山小屋にたどり着くと、すぐにスコップで雪掘りを始める。小屋の屋根は雪の外に出ているが、あとはすべて深い雪の中に埋まっている。硬くしまった雪を掘らないと小屋の入り口さえも見えない。入り口を掘り起こし、明かり取りの窓を開けてやっと小屋の中に入る。

白頭山

 部屋の中は長い間雪に埋もれていたためか、冷たく湿っぽい。急いでオンドルに火をつけるが、やけに煙が出る。やがて盛大に火がおこり、オンドルの床が暖まりだす。山歩きと小屋の掘り起こしで疲労は限界に達していた。ほかほかするオンドルの温もりに、いつのまにかうとうとと眠り込んでしまった。

 突然、ガイドの孫さんの「ウォー」という奇声が聞こえた。なにごとかと頭を持ち上げようとすると、ズキンという痛みが走った。とっさに起き上がり、助手と二人で孫さんを屋根に引っ張りあげる。しばらくは屋根に寝転がり、呼吸を整える。頭が割れるように痛い。屋根からみる小屋の周りは雪に埋もれている。十分な換気を考えなかったために、危うく一酸化炭素中毒であの世に行くところであった。それにしても、気持ちよく寝込んでしまったものだ。屋根から見上げる空は、あくまで晴れて美しい。

 翌朝、天池を歩き始める。この時期、天池の氷はまだ1メートルほどの厚さがあり、自由にどこでも歩ける。これまでは、対岸に見える中国側の長白山の撮影が多かったが、このときばかりは思う存分、角度を変えて白頭山を撮ることができた。

 午後になると氷の表面が溶けはじめた。ひざの深さまでもぐってしまう。悪戦苦闘して、ようやく小屋に帰り着く。約10日の滞在を終えて山麓に戻ると、新緑は、ひねこびたダケカンバの林まで上がってきていた。(山岳カメラマン、岩橋崇至)

[朝鮮新報 2006.4.13]