〈朝鮮と日本の詩人-8-〉 中原中也 |
朝鮮女の服の紐/秋の風にや縒れたらん/街道を往くおりおりは/子供の手をば無理に引き/額顰めし汝が面ぞ/肌赤銅の乾物にて/なにを思えるその顔ぞ/−まことやわれもうらぶれし/こころに呆け見いたりけん… …‥ 右は「朝鮮女」と題された中原中也の詩の全部である。彼がこの詩を発表したのは1935年発行の雑誌「文学界」(10月号)誌上であった。中也はその前年の7月から9カ月ほど郷里の山口市湯田温泉に帰っている。そこは下関市から近い。下関には当時多くの朝鮮人が住んでいた。この詩はおそらくその下関で見た朝鮮女性を歌ったものと思われる。 中也は孤独と悲しみと早熟の抒情詩人であった。それは1907年に生れて37年に没するまで、生前は一部の理解者だけに読まれて悲哀をかこっていたこと、同棲していた愛人を親友の小林秀雄に奪われたこと、27歳の時に生まれた愛児に三歳で死なれたことなどの不運に見舞われた生涯と無関係ではない。しかし没後10年頃から今日にいたるまで、中也ほどに広く読まれている詩人はほとんど類例がないといっても過言ではない。彼の悲しいまでの抒情の深さは底しれぬものがある。「汚れっちまった悲しみに/今日も小雪のふりかかる/汚れっちまった悲しみに/今日も風さえ吹きすぎる」という詩行に中也の抒情の本質の一端を読みとることができるであろう。 「朝鮮女」は、そうした中也の詩世界にあって、まったく異質の作品である。彼はこの詩で政治詩も書ける詩人の一面をのぞかせている。朝鮮女性の詩的形象はリアリティにとんでいて、抒情とは縁遠いといえる。植民地の女性が宗主国の日本に来て貧しく生きている現実から、中也は目をそらしていない。この詩は「何をかわれに思えとや」とリフレーン(くり返し)があり、最終行は「……」で終っている。うらぶれた朝鮮人母子を擬視する中也の視点の先には、うらぶれた、踏みにじられた植民地の現実が映じている。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2006.4.21] |