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若きアーティストたち(36)

東京第1初中、金英蘭舞踊研究所舞踊講師・金仙玉さん

「同じ世代の同胞たちに舞踊のすばらしさを伝えたい」と語る金さん

 「朝鮮舞踊の良さをいろいろな方法で見せたい」−4月4日、都内のホールで同研究所の若手舞踊手6人が主体となり行った自主公演「舞ロード〜歩〜」。そのリーダーが金さんだ。公演は出演者らの朝鮮舞踊に対する真摯な気持ちの表れでもあった。オープニングは「歩」。6人が朝鮮舞踊の基本である「歩く」動作を強調。ジャズダンスの「PAID」、フィナーレの「Frontier〜新境地〜」など新鮮な作品が披露された。朝鮮舞踊以外に友情出演者による日本の歌、南のポップスまでも飛び出した。これを見ると一見、「何を伝えたいのか」と首をひねる人もいるかもしれない。しかし、会場は400人席が埋まり立ち見が出るほどの盛況ぶり。とくに若い観客の姿が目立った。これは何を意味するのだろう。

 「若い人たちは自分の『民族』や『ルーツ』に飢えているのかなって思った。演目を考えるうえで、『民族の何を守り、変えていくものが一体なんなのか』、線引きがとても難しかった」

 東京朝鮮第4初中級学校初級部4年から舞踊を始めた。4、5歳の頃に見た金剛山歌劇団の華やかな舞台に心を奪われ、「自分もここに入って踊りたい」。

 中級部のとき、「統一」や「光州人民蜂起」をモチーフにした題材で「踊ることの意味」を徐々に見出していく。00年3月末、「東京朝高舞踊団」の米国公演も忘れられない思い出となった。「異国の地で言葉や文化を守っていることがすばらしい」との在米同胞の感嘆の声に、「自分たちがやってきたことが本当にすごいこと」と無限の可能性を実感できた。平壌音楽舞踊大学の通信教育も受けた。「朝鮮舞踊、民族の味とかっこよさ(言引鈷)を追求すること」。祖国の先生の言葉が胸に強く響いた。

金英蘭舞踊研究所主催の東京第1初中創立60周年記念コンサートで、舞踊「向」に出演する金さん(写真中央)

 「後代に伝えていく使命がある」との思いを胸に高3の秋、金剛山歌劇団のオーディションを受けたが選ばれなかった。「頭の中が真っ白で登校拒否もした」。それでも舞踊をあきらめたくなかった。

 団体職員として働きながら金英蘭舞踊研究所に週2回通った。この時期、金剛山歌劇団のオーディションを再び受けたが失敗に終わる。「自分に変化を起こしたい」と自問自答する日々が続き、やがて答えが。「舞踊に専念する」ことを固く誓い退職。04年、東京第1初中舞踊講師の話が舞い込むと二つ返事で了承した。「生徒は自分の鏡。適当に踊って教えるとそれを生徒も真似をする。だからいつも全力」。生徒の前では講師だが、まだバリバリの現役。芸術性と技を極限まで高め、それを披露したいと思うのが舞踊手の性だ。しかし大きな舞台といえば研究所の年1回の発表会しかなかった。

 「自分で何か舞台を上げたい」と「舞ロード」の公演準備に着手した。苦労が絶えなかったが、漠然としか思い描けなかった舞台を一つひとつ形にして仕上げた。込めた意味は「My road is 『舞』road(私の道は舞踊の道)」。自分にとって舞踊は、生活に欠かせない「水」のようなものだと語る。

 「在日3世舞踊手として誰も真似できないオリジナリティー、可能性を見出していきたいし、とくに同世代の同胞たちに朝鮮舞踊の本当のすばらしさを伝えていくグループになりたい。『味』と『かっこよさ』を追求し、今の自分に満足しない舞踊手であり続けたい」(金明c記者)

 ※1982年生まれ。東京第4初中、東京中高舞踊部、中1から金英蘭舞踊研究所へ。平壌音楽舞踊大学通信専門部でチョン・キョンエ先生に師事。00年、ニューヨーク、ロサンゼルスで公演。03年、同研究所中学生クラス講師。04年4月から東京朝鮮第1初中級学校舞踊部講師。同研究所6人の舞踊手のリーダーとして「舞ロード」を結成。

[朝鮮新報 2006.5.10]