〈朝鮮と日本の詩人-9-〉 白鳥省吾 |
峠を越えてくる若者に遇った/八月の日は熱く/落葉松に鶯の啼く峠を/喘ぎ喘ぎ登ってくる紺の法被姿は/日本の労働者そっくりであるが/道をきいたそのアクセントに/異邦人の響きがある 「日野春へはどう行きますか」/長野県から山梨県へ/峠を越え茫漠たる高原を過ぎて/日野春までは十里もあろうか/仕事を求めてゆくらしい漂泊の朝鮮人よ 汗は油のように流れている/異邦人の恐怖が顔に刻まれている/国土を失って他郷に生きる悲哀よ/私はこの悲哀に蝕む君の魂を見返し/涙ぐましい心で見送る ああ誰であったろう!/弱者に浴びせた「虐殺」の血!/いまも君等は怯えている/その心で私に路を訊く 私は行きにも二人の朝鮮人が/私達とあとさきになってこの峠を登るのを見た/何事かあるように/彼等は西から東へ流れてゆく この詩は白鳥省吾の「峠」の全文である。全詩行に朝鮮人労働者に対する詩人の同情と燐憫の情が息づいている。 しかしそれは、激しい怒りによって裏打ちされている。朝鮮人が国を奪われ「他郷に生きる悲哀」に魂を蝕まれ「虐殺」に怯えながらも仕事を求めて流浪しなければならないその政治的原因を、省吾は洞察していた。 この詩のモチーフは日本の植民地政策に対する批判だということができる。それは「ああ誰であったろう!」という一行に凝縮されている。もちろん詩人は「誰」が誰であるかを知っていて反意的な表現をもって意味を強めているのである。 日本の代表的な民衆詩人白鳥省吾は自由、平等、友愛の「大正デモクラシー」に共鳴してラジカルな現実批判の作品、たとえば「靖国神社」の遊就館を告発した「殺戮の殿堂」のような作品を書いて国家権力に反抗し、「耕地を失う日」を発表して貧しい人々に同情を寄せた。 この詩は「日本の詩」(集英社)の第22巻に収められている。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2006.5.12] |