〈本の紹介〉 「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ |
醜悪な修正主義言説を斬る 1990年代後半、戦後日本の公教育における歴史観を「自虐史観」だと批判し、自国中心の彼らの主張でいうところの日本人の誇りがもてるような「国家の正史」を確立すべきだと主張する勢力が台頭した。ホロコースト否定論者たちが、自らを歴史修正主義者と名乗ったことから、植民地支配や戦争に対する責任を否認する日本の勢力を「日本版歴史修正主義者」と呼ぶようになった。 この勢力が台頭した当初、日本の優れた歴史家たちは、「こんなばかばかしい、荒唐無稽な虚説は、すぐ立ち消えるだろう」と見ていた節がある。修正主義者たちの主張する中身はそれほど虚偽に満ちて、あえて真正面から取り上げるに値しないと判断したからだと思う。 しかし、あれから10年。日本の社会の隅々にまで、彼らのデタラメな言説が浸透し、まじめな世論は急速に隅に追いやられ、瀕死の状態に陥っている。そのデタラメさは、本書が遡上に載せている「マンガ嫌韓流」に代表される本の山を眺めてみれば十分であろう。いまや、街の本屋にはこうした「嘘八百」を書き連ねた本ばかりが平積みされ、テレビを占拠している輩もその類のエセ文化人ばかり。そして、歴史教科書からは「従軍慰安婦」や「強制連行」の事実が抹殺されて、拉致事件の記述が入った。 自らの歴史の暗部を直視せず、その事実を否定して、自らを被害者として「偽装」してはばからない彼らの言説に、本書はあらゆる角度から反論を試みている。その真摯な努力と情熱に頭が下がる。しかし、そもそも「マンガ嫌韓流」を世に出した勢力、つまり民族排外主義者や人種差別主義者たちにこうした真摯な声が届くだろうか。いま、日本のナショナリズムは、醜悪な他民族排外思想をベースに、改憲、日米軍事同盟強化という政治的潮流を糾合しながら、凄まじい勢いで戦争態勢を整えつつある。その大きな武器となっているのが、「人を差別する言論の自由」(朴一、大阪市大教授)が、日本で闊歩しているからにほかならないのだ。 まさに保守派、右派勢力におもねる日本のジャーナリズムのぶざまな姿は、目を覆うばかりである。(粉) [朝鮮新報 2006.5.23] |