top_rogo.gif (16396 bytes)

くらしの周辺−食わず嫌い

 思えば幼いころ、食べるのがきわめて遅く好き嫌いも多かった。正直、食事の時間はあまり好きではなかった。そんな姿を見て母は「この子は本当に大きくなるのだろうか」とよく心配していたようで、食事時は残さず全て食べさせようとする母と、はたまた何とか残すのを許してもらおうとする筆者との根気比べの時間でもあった。好き嫌いもなく健康である今思うと、あのころの好き嫌いは一体何だったのだろうか。食わず嫌いだったのだろうか? そうだとすればいつ克服したのか? 考えると余計わからなくなる。ようするに、いつの間にか好き嫌いなく何でも食べられるようになり、今のような健康な体があるということである。

 今思えば、それは自然にありえたことではなく、筆者の嫌いな食べ物を熟知していた母が、わからないように細かく料理していた事によって知らずに食べていたのであろう。そう思うと、あらためて母への感謝の気持ちがわいてくる。

 さて、食わず嫌いとは食べ物だけの事だろうか。新しい考え方や価値観、今までとは違った視覚での判断…これらも健康な思考のためには一度食べてみるのが望ましい。そうでないと、食べ物の食わず嫌い同様、健康を害すばかりか、おいしいものを食べられないという意味では損をする事になる。思考での健康問題は食わず嫌いが先入観や偏見、ひいてはなんらかの差別にもつながりかねないところにあると思う。

 ただ、新しいものを食べてみるということは勇気や労力がいること。やはり思考での食わず嫌いにも「母」の存在が必要なのであろう。(梁大隆、団体職員)

[朝鮮新報 2006.5.29]