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〈朝鮮と日本の詩人-11-〉 佐多稲子

 朝鮮の少女達よ/お前の白い上衣はこの夜更けに寒くはないか/今夜は月があまりに冴えて氷の中にいるようだ/停留場の石だたみの上にいると/しんしんと冷気が爪先を打ち敲く/お前たちはそこで互いに立ち寄り/空になったボール箱を腕に掛け/かじかんだ両手に息を吹きかける/けれ共、お前たちは元気だ/もう商店も戸を下して人影の少ない大通りに/お前たちは何か言っては犬の子のようにふざけ合う/お前たちの言葉は私には分からない/お前たちはきっと母国で生れたのだ/だがお前たちは母国をよく知らぬだろう/日本の都へ移されたことを知らぬだろう/朝鮮の少女達よ、お前は何故か知っているか/寒い夜風と白い埃に吹き晒され/明るい扉から扉へと男や女に追いたてられ/飴を売りあるかねばならぬということを/朝鮮の少女達よ/お前たちは今にその寒さを判然と知るだろう/お前がじっと立ちとまると/冷気がお前のからだをその白い上衣の上から締めつけてゆくようだ。

 日本の女流作家を代表する一人佐多稲子が、窪川いね子という名でかなりの詩編を残したことはあまり知られていない。右の詩は、彼女が、中野重治、堀辰雄、窪川鶴次郎(稲子の夫で後に離婚)たちと同人誌「驢馬」に加わっていた頃、同誌の1928年5月号に発表した「朝鮮の少女(一)」の全文である。

 同じ題で(二)もあることからもわかるように、稲子は身近にいた少女たちに優しい眼差しを注ぐことで、日本の朝鮮支配に対する憤りを詩につづった。その抑制された憤怒は、少女たちが「何故」東京に住まねばならないのか、「今に…判然と知るだろう」という詩句に深く込められている。詩全体は少女たちへの同情と慈しみのリズムではあるが、この詩がすぐれた抵抗の叙情詩であることは疑いえない。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2006.6.9]