top_rogo.gif (16396 bytes)

〈朝鮮と日本の詩人-12-〉 斉藤茂吉

 斉藤茂吉(1882〜1953)は、アララギ派の領袖伊藤左千夫に師事して歌人の道を歩んで、明治末の歌壇の転換期に自我解放を謳歌する奔放な歌風を創造した。1913年に刊行された処女歌集「赤光」は近代精神と鋭敏な色彩感覚を凝縮する表現をもって日本近代短歌の一到達点を画し、それは日本近代文学自体の代表的作品の一つとなった。以後、「あらたま」「つゆじも」他の歌集と、「童馬漫語」を初め多くの歌論集を上梓して歌壇の泰斗となった。日中戦争以後、軍国主義に迎合して戦争賛歌のような作品を発表し文学歴に瑕疵を残したが、1951年に文化勲章を受けた。

 茂吉は1930年10月、旧「満州」を旅行した折にソウルに到り十余首の歌を読み、第八歌集「連山」の「朝鮮・日本本土」編に収めた。そのうちの二首を解釈してみる。

 まおとめのうたへる声はかなしけど寂びて窒ほることなかりけり

 純な乙女が歌うその声にはどことなく悲しみがただよっているが、趣があってよどみなく響き渡る。

 これは朝鮮の少女の歌を聞いた時の感懐であるが、茂吉はその歌声に、なぜか悲しみを覚えている。乙女に宿る悲しみが亡国のそれであると解釈できなくもない。

 ともし火のもとに出てきてにほえ少女が剣を舞ひたるそのあわれさよ

 舞台はどこであろうか。明かりに映し出されて気品のある少女が剣の舞を踊る可れんな姿が、哀れに思えてならない

 民族舞踊を舞う少女の美しさにひかれながらも、茂吉は哀れの感情にとらわれている。それが芸人≠ニいう身分に対してなのか、それとも、亡国の民への同情なのかその判定は読む人の受けとり方によるというほかない。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2006.6.21]