東京芸術大教授 絹谷幸二氏 高句麗古墳への旅、絵画は時代や国境を越える翼 |
日本芸術院会員で東京芸術大学教授の絹谷幸二氏(62)が今年3月末、初めて訪朝した。絹谷さんは現代日本を代表する洋画家の一人。純然とした空の青を背景に、限定された形の中に明るく躍動的な色彩で描かれた人物、薔薇、富士などが特徴とされる。アフレスコ古典画(フレスコ画のこと)という壁画技法の日本の第一人者でもある。フレスコ画は、ミケランジェロの描いた「最後の審判」などイタリアの教会の壁画などが有名。また、ユーラシア大陸を東にたどると、石窟の壁に消石灰を塗り、絵を描いたものが、キジルや敦煌の仏教遺跡にも見られる。絹谷さんによれば、高句麗古墳壁画こそまさしく真正のフレスコ画であり、高松塚、キトラ壁画古墳の源流であると、今回の旅で実感したと言う。
時空を超えて、現代を生きる人々を魅了する高句麗壁画古墳。世界中のフレスコ画を観てきた絹谷さんも、高句麗の壁画を観ることが長年の夢だった。「日朝間は現在、政治的にも経済的にもこう着状態が続いている。しかし、絵画には時代や国境、言葉の壁を楽々と超えてしまう翼がある。たとえ2000年前に描かれた作品であろうとも、時間と距離を超えて、われわれは作家たちと対話し、理解しあうことができる。その交流のかけ橋として何かお役に立ちたいと思った」。 ちょうど、平壌に着くと、厳冬の季節が去り、街路樹も芽吹き、田んぼには田植えの準備を急ぐ苗床が植えられていた。空気が澄み、穏やかな表情の人たち。子ども時代を過ごした故郷・奈良の原風景のような懐かしさを感じたという絹谷さん。 「悠久な歴史を湛えて流れる大同江と近代的な建造物。都市と自然がマッチした美しい都・平壌がすっかり気に入った。人々は活気があり、朗らか。時間がゆったりと、堂々と流れていて、心が癒される感じがした」。
訪朝直前まで、三越で4月に予定された「大個展」の準備に向けて、不眠不休の日々が続いた絹谷さん。平壌での日々は何よりのリフレッシュとなり、多くのエネルギーと力を得る機会になったとほほ笑んだ。 今回の旅のハイライトは何といっても、一昨年世界遺産に指定されたばかりの平壌郊外にある徳興里壁画古墳などの華麗な壁画を観ることだった。「私自身、キトラ古墳の保存対策委員でもあったが、実際に高句麗壁画を観たら、その雄大さ、規模、華やかさなどすばらしい作品であるがとくに、徳興里古墳を守る表土の厚さに驚いた。これによって古墳の中の温度が夏は涼しく、冬は温かく常温に保たれる。しかも、平壌は年間の雨量も多くない。それに比べ、高松塚、キトラがある南紀地方は高温多湿で、雨の被害が多く、常に自然の脅威にさらされている。国宝でもある両古墳の保存は日本にとっても大きな問題となっている」。
絹谷さんが専門家の立場で、最もうらやましかったのは、徳興里古墳の地の利についてである。「石室封土墳の内壁に石灰による漆喰を塗り、その上に絵が描かれているが、眼前に広がる舞鶴山は、石灰石に覆われ、壁画の原料には事欠かない。その風景からイタリアのタルキニア古墳を連想した。華麗な壁画古墳を生む必然性がここにあると直感した」と語る。 絹谷さんによれば、徳興里の壁画は、真正のフレスコ画だという。漆喰の中の無色透明な結晶・アンドリデカルボニカという無水炭酸塩が析出して顔料を覆い、この皮膜が強固に顔料を守り描かれた当時の色彩美を保つ。徳興里の壁画の永遠の美しさの秘訣はここにあると絹谷さん。「イタリア半島と朝鮮半島は、石灰岩の大地や海が育んだ大自然という共通のゆりかごの中で、壁画という芸術を育んだと言える」。 中国大陸から日本へと手を差し伸べる海の回廊としての朝鮮半島。朝鮮も日本も周辺の大国に比べると小さな国だと指摘する絹谷さん。「日本も、朝鮮半島も固有な文化を保ちながら、大陸の影響を受けざるをえなかった。地政学的には難しい条件にあった両国だが、日本は歴史的には聖徳太子の時代から、朝鮮半島からの豊かな文化を受け入れ、交流を進めてきた。日朝間のいまの厳しい状況は、長い歴史から言えば、ほんの一瞬のこと。仲良くしなければとしみじみと思った」。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2006.6.24] |